のり

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兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  京都新城(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-15)

御常御殿
御常御殿

慶応3年(1867)に造営。大正年間に洋風に改められ、遣戸がガラス戸に変わり、内部は絨毯、ソファー、テーブルなどの洋風調度品が置かれているそうです。

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のりさん が  京都新城(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-15)

大宮御所・正門
大宮御所・正門

京都大宮御所の正門で、西側にあります。

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のりさん が  京都新城(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-15)

土塀
土塀

大宮御所、仙洞御所の周囲は土塀で覆われています。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

伊藤仁斎宅跡
伊藤仁斎宅跡

江戸時代前期に活躍した儒学者の伊藤仁斎の邸宅で、塀越しに市指定の保存樹である見越しの松のクロマツが見えます。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

聚楽第南堀鵲橋乃旧蹟
聚楽第南堀鵲橋乃旧蹟

南二ノ丸南堀に位置し、鵲橋の故地と伝えられ、松永神社の小祠の左横に石碑があります。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

南外堀跡
南外堀跡

松林寺本堂から墓地にかけての落ち込みが、聚楽第の外郭南掘跡と考えられているそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

本丸南堀跡
本丸南堀跡

交差点の北西角で平成13年(2001)の発掘調査により、本丸南堀の南肩が確認され、下長者町通の北7mの位置では、堀の深さは地表下3mを超えていたそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

西ノ丸南堀跡
西ノ丸南堀跡

昭和39年(1964)に聚楽第の堀跡を最初に発見した発掘調査地で、下長者町通の北に南肩があり、北肩まで43.5mの幅があったそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

南北方向の掘跡
南北方向の掘跡

土屋町通中立売下るの道路に残る傾斜は2m以上の落差があり、聚楽第の西外堀によるものではないかと考えられているそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

東西方向の掘跡
東西方向の掘跡

平成12年(2000)、平成13年(2001)の千本中立売郵便局の北西地点の調査で、聚楽第に関連すると見られる東西方向の掘の南肩部が確認されたそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

本丸西掘跡
本丸西掘跡

正親小学校の北東に石碑が建っており、この付近は本丸の西掘跡と見られているそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

北ノ丸北掘石垣跡
北ノ丸北掘石垣跡

鏡石町にある写真のマンション北端に石垣があるそうです。鏡石町という名前は、石垣に使われたと見られる石材が由来だそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

本丸東掘跡
本丸東掘跡

平成3年(1991)に行われたハローワーク京都西陣の発掘調査で、本丸東掘の西肩部が確認され、堀内からは多数の金箔瓦が出土したそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

城址碑
城址碑

本丸東堀跡のあったとされるハローワーク京都西陣の向かい側に建っています。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

堀川第一橋
堀川第一橋

明治7年(1874)に御所と二条城を結ぶ公儀橋として、木橋であった中立売橋に石造のアーチ橋が架橋されたそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

旧・一条戻橋
旧・一条戻橋

晴明神社にあり、実際に戻橋で使われていた欄干の親柱が使用されています。横には安倍晴明の式神石像が飾られています。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

一条戻橋
一条戻橋

平安京造営の際に、堀川に架橋され、現在の橋は平成7年(1995)にかけ直されています。安倍晴明が式神を橋の下に隠していたといわれているそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-14)

晴明神社
晴明神社

安倍晴明の邸宅跡に建てられた神社で、聚楽第があった頃は千利休の屋敷があったそうです。

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のりさん が  聚楽第(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-13)

白峯神社
白峯神社

ここには鎌倉時代前期にはじまる蹴鞠と和歌の宗家・飛鳥井家の屋敷があったそうです。

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のりさん が  妙顕寺城(京都府京都市) の写真をアップしました(2024-08-12)

西福寺の石碑
西福寺の石碑

現在は「古城町」という町名と、石碑が残っているのみで、遺構などは無いそうです。

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今日のレビュー

一冊でわかる戦国時代 (世界のなかの日本の歴史)

攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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