ぐこ

ぐこ()さん 大老 サポーター   フォロー

走る歴女です。

ぐこさんのタイムライン

ぐこ

ぐこさん が  長野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-03)

城域西の堀切
城域西の堀切

城域の北西には二本堀切があります。これは片方が岩盤面になっていて幅広い堀切です。

ぐこ

ぐこさん が  長野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-03)

高狭ヶ野林道
高狭ヶ野林道

川沿いにすすんだ林道瀬戸線から、分岐して高狭ヶ野林道を登ります。ここは車両通行止めになっています。
倒木や落石もかなり多いです。ここから城趾まで2.4キロあります。

ぐこ

ぐこさん が  長野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-03)

桂畑文化センター前のマップ
桂畑文化センター前のマップ

国道163号から、まず桂畑文化センターを目指します。マップがあり、長野城への道標が出てきます。ここから5キロ弱です。

ぐこ

ぐこさん が  長野城(三重県津市) を攻城しました(2024-10-03)

ぐこ

ぐこさん が  長野城(三重県津市)の城活ノートを更新しました(2024-10-03)

伊賀街道・国道163号線から桂畑文化センターを目指します。長野城まで4.2キロの道標があります。
文化センターから桂畑川沿いに瀬戸林道を進みます。途中大きな落石がありましたが、バートウォッチングの方などは普通車で来られていました。
川沿いの瀬戸林道と分岐して林道高狭ケ野線
を登ります。車両通行禁止の柵があり、かなり落石、倒木が多かったです(長野城まで2.4キロの道標あり)。林道は簡易トイレのある城趾の北西に至ります。
城趾は小ぶりで主郭に帯曲輪が取り巻き、低土塁や堀切が見られます。周囲は急斜面で、とても眺望がよく、伊勢湾まで望めます。
帰りは東に伸びる山道を下り、中野集落に下山しました。
城趾は整備されていますし、往復林道であれば気軽ですが、距離が長く標高が高いので、飲食物、獣対策が必要と思います。
下山した後に美里ふるさと資料館で縄張り図付きのパンフレットなど情報をいただいたので、先に寄るとよかったです。

ぐこ

ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-02)

今日は早朝畑を手伝った後、津市の長野城、長野氏城へ行ってきました。
源頼朝の御家人・工藤祐経の子孫が伊勢の長野に住んで長野工藤氏を名乗ったのが伊勢の長野氏の始まりだそうです。
戦国時代、北畠具教に半分乗っ取られた形になっていましたが、織田信長の弟・信包が養子に入って、結果長野氏は滅亡してしまいました。
長野氏城は、標高540mで伊勢街道からも6キロ以上奥まった山中、天然の要害で周囲が切り立っています。
眺望がとても良く、今日は少し霞んでいましたが、中勢から伊勢湾がよく見渡せました。
南北朝や室町時代期のシンプルなお城の姿という感じで、きっとそんなに戦国期に改修をしてなさそう、と思いました。
信包は上野にある支城・伊勢上野城に住んだと言われていますが、まあ、気持ちはわかる気がします💦
長野氏城までは行きは林道、帰りは山道で下りました。
林道は瀬戸林道から高狭ケ野線へ曲がって登っていきますが、今の状況は派手な落石や倒木が多く、徒歩以外で行って大丈夫かな‥と感じました💦

居館跡の長野城は西、中、東の城と三つの小山に築かれており、こちらもシンプルですが面白かったです。

城趾へアクセスするまでに目にする(ヒガンバナ✖️田んぼ)のコントラストがキレイでした。
道中に忠盛塚、というのがあって、
(清盛のお父さん、ここで亡くなったのー?)とアホな事思っていたら、忠盛さんが生まれてその胞衣塚があるとの事、伊勢平氏発祥の地とされているようでした。そんなエリアだから、源氏方の有力御家人がやってきたんかな?と思いつつ帰りました☺️
写真は長野城遠景✖️ヒガンバナ。

ぐこ

ぐこさん の読者投稿欄「ほかの団員と話してみたいトークテーマはありますか? 」への回答が公開されました(2024-10-01)

- [x] 普段単騎攻城で、山城の遺構を見ながら、攻守でどう使うかとか、遺構の目的とか考えるのが好きです。ちょっぴりミステリアスな部分があるとなおさら楽しんでいます。
山城で団員さんと、そういった遺構についてや、お城の来歴、地形について話せたらいいなと思います。私にはあんまり知識がないかもですけど‥💦
写真は周山城の主郭。城趾にいたおじいさんが色々自説を語ってくださり、楽しかったです。

他に、現地におられたベテラン攻城者さんに(このお城が好きなら次このあたり行くといいよ)とアドバイスを受け、どストライク。な経験があります。そういうテーマもいいですね👍

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-30)

瑞龍寺山砦
瑞龍寺山砦

関ヶ原合戦前哨戦岐阜城の戦いで、東軍浅野幸長が攻め入った砦。
金華山ドライブウェイ水道山展望台の近く、瑞龍寺山頂遺跡(古墳)を利用して作った砦。ほぼ自然地形です。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-30)

相場山砦
相場山砦

岐阜城から南に連なる砦の一つ、金華山ドライブウェイ展望台北東背後の山頂にあります。
金華山ドライブウェイから登って行けます。
ここは段曲輪が確認できます。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-30)

上加納砦
上加納砦

岐阜城から南に連なる砦の一つ、ここから岐阜城天守が綺麗に見えます。
岩戸山の山頂部でほぼ自然地形ですが、狼煙台に良さげなチャート岩があります。金華山ドライブウェイから行けます。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-30)

武藤つぶら(岐阜城の戦い激戦地)
武藤つぶら(岐阜城の戦い激戦地)

関ヶ原合戦前哨戦、岐阜城の戦いの激戦地。織田秀信方守将木造具政が、砦を撃破して登ってきた東軍を数度も押し戻したとされます。
七曲り登山道から唐釜登山道へ行く分岐点で、今は周辺が工事中です。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-29)

一ノ門付近の巨石
一ノ門付近の巨石

道沿いに並んでいた巨石が点在しています。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-29)

ニノ門入り口の石垣
ニノ門入り口の石垣

ニノ門付近は信長期と道三期の石垣が見られます。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-29)

溜池式の井戸跡
溜池式の井戸跡

山上には水が湧く井戸はなく、溜池式の井戸がありました。
水の手道の裏門下あたりまで行けば沢がありますが、これではなかなか籠城が難しそうですね。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-29)

岐阜城天守
岐阜城天守

山上の細尾根に立つ姿、やはり好きです。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) の写真をアップしました(2024-09-29)

若き日の信長像
若き日の信長像

岐阜公園は官民連携にぎわい創出事業で整備中でした。楽しみですね。

ぐこ

ぐこさん が  岐阜城(岐阜県岐阜市) を攻城しました(2024-09-29)

ぐこ

ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-09-27)

今日は朝イチの仕事の後、岐阜城の水の手道〜山上〜南西の砦を回ってきました。(交通事情で下調べしていたお城に行けなくなり、急遽のプランBでした💦)

関ヶ原前哨戦の岐阜城攻めは、元岐阜城主で地形に精通した池田輝政が水の手道から攻め上ったとされてましたが、最近の研究では当時の書状及び合戦参加者の後日談、池田家家臣の武功集でも確認できず、後世の創作とされる可能性が高いとのことです。
水の手、といえば、岐阜城は山上部には溜池式の井戸があるけれど、水が湧く井戸は地質的にもないとのことです。要害な地形でも、籠城には向いてない感じですね。

岐阜城は北東は天然の堀的な長良川があり、南西側の山が連なっているピークには砦がたくさんあったことが絵図にも書かれています。
織田秀信は自身と弟・秀則が岐阜城に入り、岐阜城南西の砦や登山口に兵を分散したそうですが、東軍多勢に個々撃破されて山上の岐阜城へと迫られました。
岐阜城から七曲り登山道を下り、金華山ドライブウェイ沿いの山頂と見れば砦になっている感じで、砦はたくさんあるようでした。全部回れなかったですが、面白かったです☺️
写真は上加納砦。天然の狼煙台みたいなのがあります。岐阜城天守がよく見えました☺️
自分のフィールドとか行動範囲では、今年はどんぐりが豊作な気がしますが、どうでしょうか🐻

ぐこ

ぐこさん が  鴛鴨城(愛知県豊田市) の写真をアップしました(2024-09-25)

鴛鴨松平家菩提寺隣松寺
鴛鴨松平家菩提寺隣松寺

鴛鴨松平氏菩提寺の隣松寺は、三河一向一揆の時家康方の本陣になったそうで、彼が戦勝祈願したというお稲荷さんがありました。このお稲荷さんに松平広忠が安産祈願し、竹千代が無事産まれたとも言われてるそうです。
ここには徳川四天王の榊原康政の祖父・清長と父・長政の墓もあります。康政の母は鴛鴨城主二代・親康の娘なんだそう。また家康四男の松平忠吉の養母として献身した四代・忠久の娘、於美津の墓、忠吉の墓もあり、これらがとてもよく整備されています。

ぐこ

ぐこさん が  鴛鴨城(愛知県豊田市) の写真をアップしました(2024-09-25)

案内板
案内板

小さな城趾ですが、綺麗な案内板があります。鴛鴨松平、3代100年のお城です。

このアカウントをフォローすれば「最近のひとこと」などの活動履歴をもれなくチェックすることができます。
フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

一冊でわかる戦国時代 (世界のなかの日本の歴史)

攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。

まーちゃんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る