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走る歴女です。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

北の曲輪(奥の峰)
北の曲輪(奥の峰)

城趾碑のある南の曲輪より北に進むとL字型の北の曲輪に至ります。南の曲輪よりは幅広いですが、アップダウンもあるし自然地形に近いです。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

東の曲輪北の二重堀切
東の曲輪北の二重堀切

振り返ってみたところ。かっこいいです。
一本目は武者隠しかもしれないとのことです。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

東の曲輪北の堀切
東の曲輪北の堀切

北の作手方面からの敵を遮断しています。かっこよいです。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

東の曲輪(東の峰)
東の曲輪(東の峰)

東の曲輪もほぼ自然地形のピークですが、北に目を向けるとかっこいい堀切が待っています。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

城趾碑のある南の曲輪からの眺望
城趾碑のある南の曲輪からの眺望

南東の左近屋敷跡あたりがみえます。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

城趾碑と南の曲輪
城趾碑と南の曲輪

城趾碑のある南の曲輪(本城峠)に着きます。ほぼ自然地形で、壊れたアンテナがちらばっていますが、見晴らしは良いです。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

登城口の防獣柵
登城口の防獣柵

大人は屈んで入らなきゃいけない登城口です。
少し道なりに進みすぐに右手の尾根道に取りつきます。勾配ははじめは急ですが段々と緩やかになってきます。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) の写真をアップしました(2024-10-12)

宮崎神社と滝山城の城山
宮崎神社と滝山城の城山

宮崎神社の右奥、奥平貞勝のお墓の前から登城します。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) を攻城しました(2024-10-12)

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市)の城活ノートを更新しました(2024-10-12)

宮崎神社裏、明見集会所前から防獣柵を開閉し登城しました。すぐ右手の尾根道を急登します。
城趾碑のある南の曲輪(本城峠)までは明瞭な登城道がなく、登りは軍手、下りはストックなどがあると良いです。
南の曲輪から多少のアップダウンを伴って奥の峰、東の峰とほぼ自然地形のような曲輪が続き、その先に明瞭な二重堀切があります。その先にも広い尾根道や広い山頂が続きますが、堀切あたりまでが城域とされているようです。
南山麓には滝山合戦で武田軍が布陣した万足平などの合戦史跡もあります。万足平は長い猪垣が見事で一見の価値があります。
県道沿いにも別名の亀穴城趾の城趾碑があります。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-11)

今日は愛知県岡崎市の暫定登録の滝山城に行ってきました。ありがとうございます!
このお城周辺で行われた(滝山合戦)は、長篠・設楽原合戦の因縁のきっかけとも言える戦いです。
武田信玄死後に奥平一族は、武田に残る一族と武田を裏切って徳川についた一族(奥平貞能・信昌など)に分裂します。これはお家を残す作戦とも考えられるそうですけど‥
武田を裏切った奥平貞能らは、人質を残して作手から脱出、滝山城を目指します。
奥平貞能は手勢200で滝山城に入りますが、素早く武田軍5000が城の南麓に布陣します。

武田軍は滝山城を攻めるも、城は険しく攻めあぐねるうち(本多広孝・康重父子、深溝松平など)徳川軍の援軍が到着。武田軍は撤退します。
奥平貞能は武田軍を追撃、武田軍にたくさんの戦死者を出したとのことです。武田方の殿は武田方についだ同族だったそうですが💦

お城はとてもかっこいい二重の堀切があるけれど、明確な曲輪がない感じ
(軍道に時々阻塞があるみたい‥コレ、お城っていうんかな)と言う感想です。そんな感じで城域もよくわからなく、広範囲をウロついてしまいました💦
険しい山容と徳川軍の後詰がすぐ来てくれたから良かったけれど、長居できるお城でなかったとおもいます。
けど、武田軍が布陣した山麓も含め、臨場感を味わいとても楽しかったです。
貞能の子信昌は、家康の子亀姫を迎え、さらに長篠城が与えられ、長篠設楽原の戦いへとつながります。そののち新城城を得て徳川譜代大名の一角を占めることになっていきます。

滝山城の城域は黒雲母のキラキラ片岩がたくさん見られましたが、この辺りの鹿垣や寺社の石垣は整層積みって言うんでしょうか、とてもかっこよかったです。
写真は城趾近くの天恩寺。大きい看板をみてぶらりと寄ったのですが、家康さんが長篠・設楽原合戦前に戦勝祈願したそうですし、山門と佛舎が室町時代の足利義満建立でビビりました。石垣も江戸初期のものだそうです。

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ぐこさん が  滝山城(愛知県岡崎市) を「行きたいお城」に登録しました(2024-10-09)

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ぐこさん が  大島城(長野県松川町) を「行きたいお城」に登録しました(2024-10-07)

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ぐこさん が  細野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-06)

東の城主郭から見た南方面の段曲輪
東の城主郭から見た南方面の段曲輪

主郭より南方面には広い段曲輪が連なります。
竹林で散策しにくいです。

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ぐこさん が  細野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-06)

西の城主郭南西下帯曲輪
西の城主郭南西下帯曲輪

西の城は登城道もすごく薮になっていますし、薮になっていない斜面や主郭周りは防獣網なのかネットがかかっていたので、攻城は帯曲輪までとしました。
三つの城で主となるのは中の城のようですが、西の城が一番高所にあるようで気になりました。

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ぐこさん が  細野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-06)

中の城主郭から見た長野城
中の城主郭から見た長野城

往時は長野城と連絡も取り合ってたんでしょうね。

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ぐこさん が  細野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-06)

中の城主郭
中の城主郭

中の城主郭は土塁も高く、落ち着けるかんじです。

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ぐこさん が  細野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-06)

中の城北側二本目の堀切
中の城北側二本目の堀切

この辺りは倒木がひどく、遺構が心配です。

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ぐこさん が  細野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-06)

中の城北側の堀切
中の城北側の堀切

中の城を北から登城すると最初に現れる堀切。

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ぐこさん が  細野城(三重県津市) の写真をアップしました(2024-10-06)

中の城登城口にある城域マップ
中の城登城口にある城域マップ

中の城の北端登城口にある城域マップです。これに従って城域を周遊しようと思いましたが、倒木などで通りづらい道もあります。

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今日のレビュー

一冊でわかる戦国時代 (世界のなかの日本の歴史)

攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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