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走る歴女です。

ぐこさんのタイムライン

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-02)

あけましておめでとうございます!
初攻城、おばあちゃんちの裏山繋がりの三重の采女城に行ってきました。スペシャル感はないですが、いく度に発見がある好きなお城です(^^)
承久の乱?で武功があった播磨後藤氏の後藤基秀が築城とされ、信長軍の滝川一益によって落城するまで300年も一帯を治めており、改修も重ねてゆっくりアップデートしてきた感じがあるのも好きです。
比高も低く果樹園なんかになりがちな地域なのに、とてもよく遺構が残っています。私も(野犬がいるから行ったらダメ)と言われていたから、なんとなく神聖な場所だったのかもしれません。キツネはたま〜に見かけますが^^;
11月に冠木門が建てられたみたいで、ウェルカム感アップして、なんとなく嬉しい攻城となりました(^^)
今年もよろしくお願いします!

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-31)

昨日は年末の買い出し帰り伊丹城に寄りました。お城ニュースにあった御城印は年末休みで買えませんでしたが、また入手したいです〜
城址をぶらついていると今まで目に留めてなかった荒木だしさんと村重さんの歌碑がありました。
(霜がれに残りて我は八重むぐら難波の浦の底の水屑に)あらきだし
(思いきやあまのかけ橋踏み鳴らし難波の花も夢ならんとは)荒木村重
(残された私は、海の中に沈む雑草のよう。早く帰ってきてください)→
(あなたに会いたく思うが尼崎から進む事ができず悔しさに足を踏み鳴らしている。共に見た花が夢のよう)
尼崎城の村重に代わって城を守っていた家老の降伏に対する信長からの条件に、何の返答もなかった村重へ送った和歌とその返事でした。
遺構が少ない伊丹城ですが、和歌を出して返事をもらった心境に‥一瞬タイムトリップしてしまいました。
昨日は前日行ったお城(芥川山城)がテレビで紹介され、嬉しかった〜父も行くと申してました^^;
そして団員さんにもお会いしていたようで‥すれ違った方々には挨拶していたはず‥嬉しいです。
黒まめさん、今城塚古墳も登録城だったんですね。ありがとうございます!実質の継体天皇陵+信長様陣城なんて贅沢だ〜ハニワばっかり見てるんじゃなかった(^^)
今年もお世話になりました。ありがとうございます。来年も攻城団と攻城、楽しみます!よろしくお願いします。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-29)

今日は帰省し、やっぱり寄り道して芥川山城等に行ってきました。
登るにつれ曇天がだんだんと晴れてきて、主郭で祀られている三好長慶や松永久秀が(ムハハハ‥よう来た)と歓迎してくれているよう^^;あべのハルカスの近くに大阪城のシルエットが見えた気がしました!

年末にも関わらず主郭下辺りで整備されている方がおられ、お城の事等お話ししてくださりました。信長さん達に先駆けて茶の湯や連歌、石垣、白壁の築城などの天文文化を花開かせた三好長慶時代にも注目!みたいです。そう、(明日最強の城の番組に芥川山城が出るから観てね〜!)と言われました。タイムリーで嬉しい。
お城は大手道の石垣が想像以上に大きくゴージャスなんですね。田の丸下の大土塁がよかったです。
今城塚古墳などに寄ってハニワを眺めて帰りました(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-26)

(寒〜い日は静岡のお城に行こっかな?)と思い、気になっていた丸子城等に行ってきました(^^)
今川、武田、徳川と駿府を治める家が代わっていくにつれ、駿府の西を守るこのお城はどんなふうに変遷したんだろう〜と思いながら周りました。武田氏流の感じが多く残ってるのかな。
緩やかな北西斜面を遮断する横堀はMy攻城史上一番長く、途中凸型陣地?があったり、土塁が邪魔していたり‥迷路みたいで面白いです。
丸馬出し+三日月堀も、城域の東、西と長い横堀中央にあって、横堀や竪堀から来る敵を射撃できるようなフォーメーションになっているみたい。写真は本丸北側馬出し東側の竪堀。まさに長大で気に入りました(^^)
西麓には片桐且元が方広寺鐘銘事件の弁明に駿府を訪れ滞在した誓願寺があり、お墓もありました(金地院崇伝や本多正信相手で弁明、大変やったやろな〜^^;)と思っちゃいました。北東麓は連歌師宗長が余生を送ったお寺があり、幼い今川氏親と母北川殿が一時逃れていた館があったとも。歴史的にも面白い所です。
今日の安倍川は水量が少なく、川越人足サンに渡してもらわなくても、長靴で渡っちゃえそうでした(^^)安倍川餅も買いました!
残り少ない年内の攻城は、帰省時にできたら寄り道したいなぁ〜と目論んでいますが、(真っ直ぐ帰れ)とも言われてます‥^^;

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-23)

今日はお城ニュースにあった、西尾市岩瀬文庫企画展の(古城〜失われた城の記録〜)を観てきました。道中、新規登録の重原陣屋跡も寄ってきました。ありがとうございます!
企画展は江戸時代の書物に登場する様々な城趾が紹介されていました。第一章は古城を記録した地誌等、第二章は旅行記や旅日記、第三、四章は尾張・三河、西尾の古城、となっていました。無料です。
私の攻城済の城趾等の絵図も多くあり、とても面白かったです。特に遺構がほとんど残っていない城趾は(へぇ〜)でした。
そして旅行記や旅日記、意外に多かったです〜平和な江戸時代になり街道も整備され、観光や趣味で旅行に出かけて城趾を訪れていた人もいたんだと思うと、シンパシー。当時は遺構がよく残っていて羨ましいな(^^)
重原陣屋は予備知識なしで訪問したのですが、陣屋跡石碑の横に(従是東 福島領)の石碑!(え〜?どこの福島サン?)と思ってしまいました^^;
刈谷藩で小さな一揆のあと寛政の一揆が起こった罰として、領地替えを願い出ていた福島藩(板倉氏)の領地となったということでした。福島藩は幕末に福島の領地を削られ、重原領で立藩したことから、領地替え当初は代官陣屋だったけれど、後に藩庁になっちゃってます。
秋にも陣屋を訪れましたが、こうした飛地の領地も結構あって、ストーリーもあったりして面白いですね。陣屋の門、書院玄関が近くのお寺に移築されています。
他の地方とは比にならないですが、走っていても寒い一日でした。雪等にお気をつけてください〜。写真は西尾城址の、ど根性モミシ。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-20)

今日は岐阜県瑞浪市の戸狩城と化石博物館に行ってきました。
武田の武将・秋山信友の部下が、織田VS武田の前線のこの地に、付近の民家から雨戸を集めて砦を造った事から戸狩城の名になったそうなんですが(狩ったらアカン、借りなさい)とまずツッコミたいです‥^^;「鎌倉殿の13人」でも戦の時、民家の木材を使ったりしていたけど、アルアルなのかな〜^^;今も戸狩の地名が残っています。
このお城は主郭背後の堀切が見所でした。書籍には(この城は武田の築城術は見受けられない)とあったんですが、この堀切は幅の広ーい尾根筋を長ーく遮断しているので、素人から見ると(横堀に見えちゃった堀切)でした^^;
瑞浪市化石博物館は夏にパレオパラドキシア(大昔のジュゴン)の全身骨格の化石が見つかり、一部展示があったので‥。男の子みたいですが、古生物大好物なので、お城とセットで見れて幸せでした(^^)
写真は(横堀に見えちゃった堀切)です。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-13)

今日は関市の中濃最大級の小野城(未登録)、尾根繋がりの北条政子が建立した多宝塔がある日龍峯寺へ行ってきました(^^)
小野城は斎藤道三の一族の築城と言われており、七つの尾根筋が城域になっていて、郭の数も60余と多かったです。東から数段上の主郭を見上げたら圧巻。石垣も武骨でよかった!ニホンザルとまん丸のノウサギを見かけました。
日龍峯寺は岐阜県が承久の乱関連史跡を紹介しているパンフで見かけました。鎌倉時代の飢饉発生時に北条政子がこの寺に写経を供養し雨乞い、飢饉を逃れたお礼に多宝塔や本堂を建立したそうです。多宝塔は今でもあり、本堂は応仁の乱で焼けた(戦火どんだけ〜)そうですが、江戸時代建立で貫禄があり、その姿から美濃清水と言われているそうです。(ゆく年くる年)でも出てきたことがあるそうで、素敵な古刹でした。
そして今日で団員歴二年になりました。団長さん、皆さんのおかげで楽しく攻城を続けれています。ありがとうございます。ちょっとですが知識が増えるとより楽しめる趣味やなあ、とつくづく感じます。
3年目もマイペースで楽しみます(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-07)

今日は岐阜県の関城とその周辺の砦等を巡ってきました。
斎藤道三の長井姓時代の子とされる長井道利は、斎藤軍の東方面軍的な感じで関城主でしたが、信長の東美濃侵攻で落城しています。
公園化していて遺構は少ないですが独立丘陵なので、主郭からは岐阜城、大桑城等の東美濃の城山への眺望が素晴らしく、手に入れたいお城だろうと思えました。周りに小さい小山が沢山あり、付け城や支城だったりしたんだろうな、と想像できます。
そして西麓の関善光寺が驚くほど立派、戒壇巡りもありました(^^)このお寺の大日如来像は五郎丸選手ポーズで、お顔も柔和。せっかくだから、私も緊張する時はこのポーズをしようかな〜(^^;;

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-04)

昨日も滋賀県で、鎌刃城・太尾山城などを回ってきました。
鎌刃城は攻城団に入った頃写真を拝見し、憧れ城でしたが、ヒルやクマや雪‥いつ行くべき?と迷っていました。でも昨日のお城、ブナ科の落ち葉がてんこ盛り+湿っていて(これ、スキーできるやん)という程滑ったので、選択ミスったみたいです^^;下旬にダンスに出るので、いつになく慎重に歩きました。写真は北郭の大石垣です。
そしてこれだけブナ科の落ち葉があるってことは、カブトムシもいるけど、クマもやっぱり‥
鎌刃城は勝手な感想ですが、同じ米原の八講師城と似ていました。天守の原型かな?と思うような地下室付き櫓跡があったり、石垣の虎口があったり、境目のお城だから鎌刃城の方が格段バージョンアップした感じはします。
鎌刃城の麓・番場宿の蓮華寺は、六波羅探題北条仲時以下430名が京極道誉らに囲まれ自決した南北朝の古戦場でした。心乱されて次に訪れた太尾山城登城口の青岸寺はまた京極道誉の開基で、(今日はバサラ祭り^^;)でも庭園は美しく心落ち着きました。
さすが近江は戦国期だけじゃなくいろんな時代の風を感じれますね‥

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-02)

朝から滋賀で仕事があり、その後佐和山城に行ってきました。寒いし途中から雨が降ってきたのですが、本丸に着くと晴れてきて、残紅葉と落ち葉の絨毯。
(散り残る 紅葉は殊に 愛ほしき 秋の名残は こればかりぞと)
龍潭寺に残る三成さんの歌です。ドンピシャすぎて泣きそう‥
本丸の残石垣、写真で見たことがありましたが、思っていたより大きい石のサイズだし、外堀跡などの東山麓も攻城し、往時の立派さを感じました。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-26)

旧国鉄中央線廃線の愛岐トンネル群に紅葉狩りとトンネル探検に行ってきました。
県内最大級のモミジもあり、とてもキレイでした(^^)靴はススで真っ黒^^;
最寄り駅の定光寺近くに架かる橋は城嶺橋といい、昔はこの辺りからも名古屋城が見えたともいうけれど‥ブルーインパルスの隊列、見えなかったです^^;

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-25)

三重県の芭蕉公園になっている福地氏城と東海道関宿向かいの新所城等に行ってきました。
昔家族で伊賀辺りをドライブしている際、土塁で囲まれたお屋敷を幾つか見つけ、父に尋ねると「防風林みたいなもんちゃうか」と言われました^^;(あぁ、あれは伊賀辺りの在地土豪の城館だったのかなあ)とちょっぴりお城の知識が増えて気付いてきましたが、そういったお城を攻城するのは初めて。
それにしても福地氏城はお城も居館も土塁が高く、主郭に立派な石垣の虎口までありました。主郭の土塁は幅もあって多門櫓的なものも建てれそうです。織田軍の伊勢侵攻で早くから内応していたとの事だから、改修されたのでしょうか。
紅葉が見頃で、気分良く俳句をひねりつつ散策していると、空堀が泥堀になっていて、靴が半分沈みました(泥堀コワ〜)

関宿の南向かいの新所城は、城域の南側に古代の鈴鹿の関の土塁が走っていて、竪土塁や通路に利用されており面白く感じました。北側も古代か関ヶ原合戦時か近代か‥いつのものかわからない謎の石垣が続いています。
写真は福地氏城へ行く手前に架かる橋の擬宝珠ポジション芭蕉さん。
福地氏は織田に内応していた為、本能寺の変以後、伊賀衆に返り討ちにあって追放されたみたいで、福地氏城が芭蕉さん生誕の地かどうかは?ですが、芭蕉さんルーツの地とはいえるのかな‥

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-23)

おばあちゃんから津の名物の平治最中が送られてきました(^^)平治煎餅の方が有名で食べた事がありましたが、どちらも笠の形をしています。
(平治って誰なん?)と栞を見ていたら、津城の近くに素敵な茶房のある本店があるし、栞の内容が面白い‥
「貧しい漁師平次が病気の母のため禁漁区の阿漕浦で精のつく魚を採り、バレて阿漕浦に沈められる罰を受けた。その孝子平次伝説を元にし、忘形見の笠を模した煎餅や最中です」みたいな事が書かれていました。
(阿漕、ってもしやアコギな商売のアコギかな?)と思って調べてみたら、やっぱりそうでした
阿漕浦は伊勢神宮に供する魚を取る為に禁漁区で、そこで度重なって漁をした者がいた事から、「源平盛衰期」などでは、「しつこい」という意味で使われていたんだけど、お伊勢参りの人々により話が語られるにつれ「強欲・あくどい」みたいな意味になっていったようです。また伊勢の平氏が禁漁区で強欲に密漁をしたとの説もあるみたいです。
田丸城を攻城した帰り、伊勢神宮用の田んぼを車窓から見ましたが、神宮用の漁域もあったんですね(きっと美味しい魚が採れたんだろうな〜)
平治さん=孝子という事にして美味しく頂きました(^^)
お城は少しかすっただけで、失礼しました〜^^;

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-22)

名古屋城の城宝館の展示が「本丸御殿に秘められた意味」に更新されたので見に行ってきました!
名古屋城主義直は甥の将軍家光を饗応するために上洛殿を増築しますが、上洛殿の一之間の襖絵の帝鑑図(狩野探幽作)が14面も、他には飾金具や天井絵などの展示がありました(写真撮影可です)
襖絵が14面も、城宝館の北側一面にずらりと展示されているので圧巻!そして位置的に風や光にあまり当たらなかったのか、復元模写より金の雲?がくすんでいるとは感じるけれど、とても保存がよく劣化していない事に驚きました。
帝鑑図、詳しく知らなかったのですが、明代の万暦帝(幼くして即位した)が理解しやすいように、挿絵入りで歴代皇帝の善政や悪政を記した「帝鑑図説」に収録されているもので、「帝鑑図説」は日本では豊臣秀頼が出版させ、家康から義直に贈られていたそうです。
儒学に傾倒していた義直がこれを読み、探幽に作画を命じたと考えられています。
展示のサブタイトルも(将軍たるもの、清貧であれ、人格者たれ)ですが、四つ年上のきっとマジメ〜な叔父さん(義直)の饗応、家光さんにしたら嬉しくもちょっと説教くさかったんじゃないかな〜と、不真面目な私は感じてしまいました(^^;;
実際の帝鑑図説の挿絵はメッチャごちゃごちゃしていて、これを内容を損なわずゆったりした感じに襖絵に転換した探幽のセンスすごいです。
上洛殿一之間と二之間の間の欄間は鶏が太鼓の上に乗っていて(なんで乗ってるの?)と密かに疑問だったのですが、これも中国聖帝の善政が画題だと紹介があり、スッキリ!
次回の展示は「家康のごはん 名古屋城でいただきます」でした(^^)
名古屋城、紅葉も綺麗でしたし、二の丸の体育館でやきものワールドが開催されていて、やきものを観るのが好きなので、観てきました。
写真は上洛殿一之間北側の「明弁詐書」若いけれど讒言を退けた昭帝が凛々しく描かれています。

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-17)

愛知県の稲沢市はギンナンの産地でイチョウ並木が広がっています。黄葉のイチョウと登録された片原一色城をセットで見に走ってきました。ありがとうございます!
片原一色城は信長様の鉄砲の師匠、橋本一巴の橋本氏のお城です。橋下氏は南北朝時代から稲沢市辺りに勢力があり、一巴は蜂須賀党だったとも。
橋本一巴といえば浮野合戦で岩倉織田方の弓の名人林弥七郎(ねねの父ですよね)と対決し、相打ちしたのが有名だけど‥(それ両名人の無駄遣い‥)信長方の圧勝だったみたいですしね^^;
一巴さんは脇腹を射られて、引退されたか亡くなられたみたいですが、のちに秀吉等に仕えた立派な息子たちがおられ、稲沢市には息子たちのお城も幾つかあったようです。
黄葉のイチョウ並木はとても素敵だし、城趾碑近くの神明社のイチョウも色づいていました。しばらくイチョウを見ると一巴さんを想うでしょう(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-10)

今日は畑を手伝った後、掘ったサツマイモと一緒に三重県の峯城等に行ってきました^^;
峯城は伊勢亀山城主関氏の五男峯氏のお城で、宗家や神戸氏と共に織田家伊勢侵攻に降り、後に信孝家臣の城になっています。
賤ヶ岳合戦の前哨戦では、三好秀次、羽柴秀長、筒井順慶らが付け城を作り攻めましたが、落城に時を要したそう。その後は信雄家臣のお城になり小牧長久手合戦時に落城しています。
攻城してみると、丘城だけど、城塁が鋭く高い+信孝好みなのか天守台まであって更に高い!ので攻めにくそう。今も田んぼに囲まれた川の中洲的な所にあって、城の周りもぬかるんでいたんだろうな、と感じました。
この長期籠城戦の守将滝川益重(前田慶次郎の父との説も)は秀吉に褒められ、後仕えてるそうなので、守将の巧もあったのかな。付け城or出城?な付近の二つのお城もコミで妄想が楽しめました^^;
峯城辺りは古代からの交通の要所だし、日本武尊能褒野御陵や古墳群なども近くです。能褒野橋からの御陵はなかなか立派(写真)
話は変わりますが、サツマイモは、炊飯器で焼くとホントに黄色く美味しく幸せです。炊飯器で焼いた後スライスして、干し芋にし、この頃の攻城の兵糧にしてます(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-09)

お疲れ様です。
昨日の天体ショー、良かったですね!今夜も月がキレイなので、熱田湊をお散歩してきましたにゃ(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-11-06)

ぎふ信長まつり‥やっぱり私も落選しましたが、自分にとっては毎年恒例の(全日本大学駅伝スタート応援)をした後、一宮市の真清田神社まで走ってきました。
真清田神社は承久の乱の幕府軍の軍議が開かれた場所で、熱田神宮→真清田神社も東海道で進軍した部隊のルートです。尾張国一宮の真清田神社は行ってみたいところでもありました(^^)
真清田神社辺りに10万の幕府軍が集結した後、木曽川沿いに四部隊に展開し、朝廷軍に圧勝しました。北条時房や泰時もこの辺で軍議してたのかな〜。立派でパワフルな神社でしたので、大河の紀行に出てくるといいな(^^)
神社前にパネル展示もあり、(この戦いで、以後明治維新まで武家社会の優位が続くのです)と書かれていていました〜頼朝の旗揚げ+承久の乱が武家社会の確立になったかな。
大豆戸の戦い近くに承久の乱供養塔があることをパネル展示で知ったので、そちらへも脚を伸ばそうと思います〜

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-10-31)

岡崎市の西大平陣屋に行ってきました。
立派な高麗門と塀があり、中もキレイに整備されています。南東隅には大岡越前守旧邸の石碑。先日家紋を博物館で勉強してきたので家紋探し♪
ベンチに座ってお茶を飲んでたら、ご近所さんに「昔は門が南東隅で東海道に面していたし、もっと広くて周りは松並木だったそうだよ〜」と教わりました(^^)
11月半ばにはイチョウがキレイだろうなあ〜そこそこ大きいイチョウなので、陣屋跡が整備される前からの木でしょうね(^^)

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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2022-10-29)

攻城帰りに豊川稲荷近くの桜ヶ丘ミュージアムで(とよかわ紋・藩ワールド)を見てきました。家紋を切り口にして愛知県の豊川ゆかりの大名が紹介されていました。
 江戸時代、現在の豊川市に領地があった大名は12藩20家、出身大名は2氏8藩もあったそうで(これは吉田藩があったからかな)、有名所では大岡越前守忠相や田沼意次なんてビックネームがあります。大岡家、田沼家、大給松平家、大河内松平家、水野家、牧野家、伊奈本多家の7家が特にピックアップされていました。
 そもそも、江戸時代に幕府が大名や旗本に対して代表紋を届けさせたことで、公式の家紋・定紋を決めさせましたが、それ以外にも沢山非公式の替紋があったんですね。それぞれの家紋の由来も紹介されていて、それぞれ面白かったです。
豊川市の伊奈城に行くと(伊奈本多家が協力し松平清康が吉田城攻めに勝利したので、清康が本多家の立ち葵の紋を所望して三つ葉葵の紋になった)みたいな事が書かれてありましたが、酒井家にも似たような二つも話が残っているそうです。元々三河武士団では賀茂信仰が浸透していて、賀茂神社の神紋が葵であったことから、葵紋が広く使われていたのでは?との推測がされていました。
大岡越前守忠相は長年の功より豊川のメインエリアを領地にする大名になられ、大岡家はよく信仰されていた豊川稲荷も全国アピールされたようです。替紋の方は稲荷色の強いものもありましたよ〜(^^)最近、攻城団でも西大平陣屋が登録されたやん〜行かないと(^^)

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今日のレビュー

火天の城 (文春文庫)

熱田の宮大工父子が織田信長の命を受け、近江の安土山に空前の巨大な天主を築き上げる物語。大工以外にも石工や瓦職人、木こりといった戦国武将以外の登場人物を生き生きと描き出し、松本清張賞を受賞したユニークな力作だ。親子の葛藤や若い棟梁の成長物語といった小説としての作法のほか、普請の様子が丁寧に書かれているところも、城好きにとっては魅力的といえる。

CLADさん)

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