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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-03-06)
今日は滋賀県の物生山城(暫定登録)、丸山城(未登録)等に行ってきました。ありがとうございます。
姉川合戦で敗戦・敵中突破した浅井家臣磯野員昌が籠った佐和山城を、東西南北に付け城・砦を築き包囲した織田軍。北が物生山城、西が丸山城です。東は今の彦根城、南はゴルフ城^^;になってしまっているそうです。
物生山城は尾根繋がりの佐和山城から攻城しました。磯野か織田どちらが築いたか不明な堀切が中間地点にあるとのことでしたが、うーん?物生山城に近かったです(^^)磯野さん側にも竪堀があると思いました。
コンパクトだけど遺構もしっかりで、虎御前山城の陣地と並んでも遜色ないかもしれないです。
丸山城は遺構はぼんやりしていますが、佐和山城の真西で、ヤジも飛ばし合えそう^^;
青春18きっぷのおかげで(多少マニアックに攻城してもいいかな?)と気が大きくなります^^;
米原の東を走っていたら、北方面にハート形に雪解けた?山が見えました。どこなんでしょうか?お城もすごく良かったけれど、可愛くて今日のMPVでした(^^)
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-03-01)
暖かい三月のスタート!になった今日は、父と虎御前山城、中島城、丁野山城を回ってきました(^^)
健脚なので、男鬼入谷城など、ワタシ1人では実は心細そうなお城を提案しましたが(そこ、知らんわ〜)と却下されました(涙)
虎御前山城は「伝」とはいえ信長スター家臣達の陣所が次々現れます。(次は堀秀政さん陣所〜)など言いながら、それぞれの陣所の個性を味わいました。整備されたハイキングコースだし、そんなにお城好きでなくとも歴史・武将好きな人にもお勧めだと思いました。織田信忠は初陣だったそうで、父も(これは勉強になったやろなあ)と申してました。
私は信長陣所から小谷城側東斜面に落ちる竪土塁探索をしてみました。曲がったりしつつ、竪土塁が麓まで落ちています。小谷城攻めの砦だけど、逆襲だって十分あり得たんだ、と気づかされました^^;
信長スター家臣達の陣所は南北に長い虎御前山城にずらっと並んでいるし、南の横山城から虎御前山城まで軍道まで敷かれてたんですね。もう朝倉の援軍はこないし、小谷城側の浅井からすればすごいプレッシャー、士気も下がるだろうと感じました。
ウナギでも食べようという予定は崩れましたが、とても楽しかったです。
写真は睨み合ってる小谷城と虎御前山城、そちらに続く軍道(戦国街道)です。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-27)
行かれた方も沢山おられるとおもいますが、今日友人達と岡崎城の大河ドラマ館に行ってきました。平日だけど結構な人出でした。
大河ドラマの世界観のコーナーも多いですが、家康の一生や三河家臣団についての史実のコーナーもとても充実していていました。関ヶ原合戦デジタル?ジオラマも良かったですし、ガイドさんの解説も受けれました(内容が田中吉政さんについてまで、及んでた‥)
数秒ごとに人物が代わる三つの等身大パネルがあり、私も撮ってもらいましたが、途中で切り代わったこのお二人に挟まれて撮影されてしまい、笑えました(^^)
すっかり落葉しているので視界良好な青海堀が素敵でした。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-25)
今日UPされた団員さんの写真を見て(城趾碑できたの〜?登録されたの〜?)と、暫定登録された岡崎市の三木城址に行ってきました!北西の風が強く、でも南東に走ると倍速でした^^;
三木城はコロナ禍MAXの頃、近隣お城巡りで攻城していましたが、その頃は何もなかったはずなので嬉しかったです〜(^^)
たまご工場の敷地内に城趾碑と案内板があり、トラックの方がおられ快く案内してもらえました(^^)工場の部分が主郭に着いた馬出し郭なんだそうです。
三木城は家康曾祖父の隠居城→大叔父康孝の居城→大叔父信孝の居城、と変遷。清康没後、大叔父達は広忠の後見役で、織田家の侵攻を撃退したりしています。でも、康孝没後は信孝が三木城や岩津城を横領したりして広忠と対立・織田家と組んだ信孝は耳取縄手の戦いで討死。信孝は水野信元と朋友とも^^;
(ここでもう少し一枚岩でいれば、家康が織田家の人質になってなかったかもなぁ〜)とか(松平は小さいけど強いから、織田も今川も取り込みたかったんだろうなぁ)など思いました。
近くには登録城も多いし、未登録城でも信孝本拠地の合歓木城、康孝の浅井西城や三河一向一揆で一揆側につく荒川氏の八ツ面城、と面白いです(^^)
写真は松平信孝のお墓がある浄珠院、三河一向一揆の和議が行われた場所です。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-20)
倒木に痛タタ‥な佐生城の石垣さん。
暖かくなり早く木が朽ちるといいですね〜
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-18)
今日は女子3人で岐阜城攻城by馬の背コース、してきました(^^)
ワイワイ登って山上の城域を探索し、私以外はロープウェイで下山の予定が、今日はロープウェイがお休み^^;ブーブー言われつつ、みんなで楽しく七曲り道を下山しました。
普段ほぼ単騎攻城で、それでもフムフム楽しんでいますが、こんな攻城もすごく楽しかったです。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-17)
今日はそろそろ雪も溶けたかな〜と(残ってました^^;)湖南の城、星ヶ崎城、小堤城山城等に行ってきました。近江六角氏の家臣団の城のカテゴリーで括れるようです。
観音寺城は私の好きなお城の一つですが、小堤城山城にはたくさん共通点が見いだせて、面白かったです。特に両方とも北側の尾根郭を土塁みたいに見立てている感じ、浅井と織田が組んで(怖〜)感もあるなあ〜。堀切の片側にびっしり石垣がある箇所があり(写真)とてもカッコよかったです。六角氏が観音寺城→小堤城山城の先の甲賀への想定逃亡ルートにしたという三雲城も是非行きたいと思いました。ここでは沢山キツツキの音を聞きました〜
星ヶ崎城は城主の伝承があり、土留めのような石垣はあるけれど、防御的なものが残っていないので、(お城って括り、難しいなあ)と考えちゃいました。
両方のお城とも東山道から近く、星ヶ崎城の麓の鏡宿は(牛若丸から義経)に成った元服の地、そこから500メートル西は義経が平宗盛・清宗親子を斬り二人の胴を埋めた平家終焉の地があり(鎌倉殿の13人)を思い出しました。明るい場所で綺麗なお花が挿してありました。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-16)
京都府の山崎城のコラボチラシが今朝気づいたら紹介されてました(^^)
恥ずかしながら、嬉しながら、ワタシの写真を使っていただいてます^^;
昨夏に帰省し、父と攻城した際の写真なので記念になりました(^^)
近々滋賀あたりで落ち合い、攻城の予定があるので、自慢いたします〜
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-08)
畑を手伝ってから、滝川一益気分で^^;北勢のお城、金井城や大井田城等を攻城してきました。
今更感じたのですが(攻城)って上手い言葉ですね!きっと本当に攻城していた一益サンも、私と同じように地図に相当するものを見て、縄張り図に相当するものを睨んでいたに違いないです(^^)大変さは違うけれど‥^^;
金井城は高くて分厚い土塁と深い空堀の方形のお城でしたが、四隅とか虎口に引っ張り出したような張り出しがあって、キルゾーン多め、ただの四角じゃない所が面白かったです。
金井城主種村氏は近江佐々木六角氏に連なる一族で、信長侵攻で降伏後、長島城に呼び出されて誅殺されてしまった城主の一人ですが、直前までは土岐氏の侵攻を何度も撃退していた強者だったみたいです。
話は変わりますが、おばあちゃんちの辺りは(四日市あすなろう鉄道)というナローゲージ(狭い線路幅)の電車が走っています。大人が両手を広げたら届きそうな車内で、音と揺れに独自のほっこり感がある気がします。
今日は攻城帰りに(今までたぶん乗った記憶はない^^;)三岐鉄道に乗り、こちらもほっこりナローゲージで、(ナローゲージ祭り)となりました。
写真はクネクネ土橋に横矢も掛かる金井城の虎口です。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-07)
名古屋城と城宝館に寄り道してきました。
展示はお正月からの(家康とごはん 名古屋城でいただきます)の内容ですが、後期の展示入れ替えがありました。
後期は表書院上段之間南面の襖絵が展示されています。奥に座られる一番の貴人の真正面にあたるものなので、家康さんにも見つめられた事がある襖絵かもしれないですね(^^)
今の本丸御殿では、南面は襖があいているし、普段見れないと思います。西端の4羽の鳥が可愛いです。
話は変わりますが、春に九州に行く機会があり、少ーしだけですが攻城できそうです。(初めての神出鬼没(^^)を今から楽しみにしてます。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-02)
今日は静岡県の大平城、三岳城、井伊谷城に行ってきました!大河ドラマ女城主直虎や太平記の舞台です。
直虎の時は残念ながら、まだ攻城団に入ってませんでした^^;
井伊氏の本城は井伊谷城で、詰城の三岳城や大平城は南朝の城として、宋良親王が井伊氏と籠って北朝と戦いましたが、落城しています。
戦国時代に改修は受けているようですが、南朝方の山城の特徴の(寺院を改修、地形が急峻で見晴らし良、尾根筋に多く拠点)〜っていうのが体感できて、私には勉強になりました(^^)
特に三岳城の見晴らしは浜名湖から遠州灘、三方ヶ原、風力発電も一基みえるし、登山客さんが多いのも納得の素晴らしさです(^^)
写真は三岳城の主郭西側の横堀の石塁堡です。すごくカッコよくて気に入りましたが(非常時はカマドとしても使えそう‥)と頭をよぎってしまいました^^;
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-27)
積雪量が多くて除雪等大変だった地域も多いと思います。今日もお気をつけください(^^)名古屋は結構寒いのに、雪はほぼ積もりませんでした^^;
昨日は雪化粧の天守を見たくて岐阜城を目指してみましたが、遠目にも普通のお姿(^^;;返す刀で岐阜市の土岐氏のお城、長山城に行ってみました。
長山城は、古代からの川湊と街道の要衝の地域・芥見にあった居館の詰城で、土岐元頼の居城と伝えられています。
美濃守護の父成頼が嫡男ではなく4男の元頼を引き立ててしまい、後継者をめぐって嫡男サイドの守護代・斎藤妙純VS元頼サイドの小守護代・石丸利光になり、4男が負けて自刃(船田合戦)、廃城となっています。
土岐氏は室町時代には美濃国の守護を独占して一時は尾張国や伊勢国の守護もつとめていたのに、将軍が相続に介入してから一族の内紛ばっかり。戦国時代前から守護代の斎藤氏によって実権を握られちゃったんですね〜。
土岐氏関連のお城にたくさん行ってるわけじゃないですが、この辺りでは崖っぷちのイイ感じの井戸や堀切内にうっすら障壁があるものがあったりするところが共通して見られるかな?と推測したり楽しみました。でも、遺構が元々薄目なのに、うっすら積雪しているから、帰って写真見るとガッカリでした(^^;;
驚いたのが(元頼とこの近辺の豪族の娘との間にできた子が明智光秀とこの地域では伝わる)と案内板に書かれていた事です。いろんな出生説があって明智光秀さんはホント、ミステリアスですね〜
写真はもちろん咲いてませんが、長山城趾北麓願成寺の中将姫誓願桜です。願成寺は土岐元頼が復興させました(相続争いで負けたけれど、そんな所に名前が残ってた‥)可憐な古木のヤマザクラが咲いているところ、見たいですね‥
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-21)
昨晩は攻城団ニュースで見つけた、大石泰史氏の講演会「桶狭間合戦前後の松平氏と今川氏 一古文書からみた両者の立場一」をオンラインで視聴しました。(どうする家康)で古文書考証されている先生でした。
私はもちろん古文書読めませんし、古文書が展示してあっても雰囲気だけ見て解説の所を読んじゃってるヤツです‥^^;
でも講演の前半は、読めなくても博物館などで古文書を見る時に注意するポイントの説明があり、宛名の形式や書かれた位置で相手へのリスペクト度が違ったりする事を知りました(^^)
そこから、その時の両者の立場関係がわかったりするので、面白いですね。信長&家康は初めの方が対等な立場→家康が臣下の立場的になってきているようです。
三河物語ベースの、松平家は今川家に隷属させられていた、というストーリーは今回の大河ドラマでもちょっと変えられてきている感じがします。
やはり古文書などから読み解いても、松平当主の竹千代を一本釣りし、内政をさせつつ関与する、国衆の一門化狙いのような感じだったみたいです。桶狭間合戦後の最初の今川からの離反とされる(牛久保城奇襲)も松平の謀反とは俄かに信じられていない文書が残されています。
そして、やはり家康さんに関しては根強い(松平・徳川中心史観)を丁寧に除きつつ実像を見る必要があるとおっしゃってました。
演者の先生は大河ドラマ内の古文書作成に携わっておられ、形式や信仰に基づいた起請文とかにこだわって作っておられるようだから、今後は注意して見ていきたいです(^^)
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-19)
来週からとっても寒そう〜なので、今日は近江の横山城、砦群を攻城してから、姉川古戦場巡りをしてきました。
横山城は登城口近くに石田三成さん縁の史跡があったり、古戦場も近く、別城一郭でお得なお城ですね!
信長軍は小谷城攻めを一日で諦め、浅井の城・横山城を包囲して小谷城下に火をかけたりの誘き出し作戦があったとされますが、横山城の城兵+後詰の浅井連合軍で、織田連合軍に勝っていた歴史もあったかもな〜とその地に立つと思えました。
横山城から北尾根続きの砦群は横山城攻略・姉川合戦時のものだそうですが、古墳利用なのもあって各方面の眺望がとってもよかったです。勝利には必須だったでしょうね。
結果だけ見ると織田連合軍は横山城を落とし、浅井連合軍は撤退したから勝敗がついたけれど、巡ってみると(設楽ケ原や関ヶ原古戦場のようには沢山の有力武将さんのお墓がないなあ)と思い、もしかしたらガッツリと戦ってない説があるというのも頷けました。
今日は自分の身長を見誤り、倒木に頭ぶつけました^^;
写真は横山城北側砦群の中間あたりの犬飼堀切です。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-15)
今日は岡崎城や周辺の新規登録城の岡城等に行ってきました。
岡城趾を攻城した帰り、登城口前で
(岡城観てきたの?(^^)この頃沢山来られてるヨ)と声をかけられ、地元に伝わる面白い話も聞きました!
岡城は東海道沿いすぐ北にある便利さからでしょうか、小豆坂合戦の陣城として使われたり、桶狭間合戦直後は今川方の板倉弾正が立て籠るなどあったようです(これを家康が攻めました)
徳川の城になってから、1685年家康が岡村御殿と呼ばれる宿所に変えて上洛時などに利用し、関ヶ原の時は東軍の宿所にもなったそうです。
今日聞いたお話は(家康は岡崎に帰ったり上洛する際、あまり岡崎城に行かずに度々ここに泊られたと伝わる)というものでした(^^)地域の人々にとって、家康さんが泊まってくれる事が嬉しく話が大きく伝わってるのかもしれないし、時代もわからないですが(その時の岡崎城に誰がいたんだろう〜築山殿?朝日姫^^;)等妄想が膨らみました。
城趾には分厚いL字の土塁等が残っていて、竹藪になっていますが、削平地が広がっています。
写真は(築山殿)のネーミングのもとになった築山の地辺りに建つオシャレな西岸寺です。(築山ってどこなんやろ)と思っていました‥
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-15)
岡崎市大樹寺に来ています!
晴天で、岡崎城を望むビスタラインはクリア。はっきり天守が見えました(^^)
写真はスマホなのでボケボケですが‥
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-13)
畑を手伝った後、北勢の杉谷城、田光城等に行ってきました。
昨日はどこに行こうかと迷っていましたが、紹介文にあった(杉谷善住坊の居城です)の文が刺さりました。(戦国のゴルゴの城、行かねば!)
杉谷善住坊については、あまり詳しくはわかっていないようで、お城も数箇所候補があったり、僧、甲賀者、雑賀衆、猟師等色々説があるそうです。でも腕を見込まれる程の名の知れたスナイパーであったことは確かみたいですね。
三重県菰野町の杉谷城は慈眼寺の裏山にあり、本堂には(杉谷地区は古くからの集落で、地名には城関連や高貴な人が住んでいた名残がある。資料には乏しいが、佐々木善住坊の名前などが伝わる)等の事が書かれています。
お城は舌状台地上に五つ程の方形郭が整然と二列に並んでいてそれぞれの間に堀があり、どこが主郭なのか迷ってしまう感じです。勝手な感想ですが僧坊跡をちょっと守備強化したみたいな感じもしました。そして鋸引きの事は考えない様にして攻城しました^^;
ただ、沢山のサルやニホンカモシカに会ったので、彼の猟の腕は磨けただろうなあ、と思いました^^;(君達、私が善住坊じゃなくてよかったね‥)
帰りに(竹成五百羅漢)という県の史跡があったので見てきました。桑名藩の名石工さんが依頼されて作った五百羅漢で、神様、仏様色々あって見ていて面白かったです。五百羅漢に小さい三猿サンがいたのですが、見かけた小猿さんにそっくりでした(^^)
写真は鈴鹿山脈に抱かれた杉谷城遠景です。
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-10)
今日は仕事の後、名古屋城城宝館の(家康とごはん 名古屋城でいただきます)の展示を観に行ってきました!
タイトルだけ見て(家康さんの食事内容、知れるのかな〜長寿の秘訣がわかるかな?)といつもの早とちりをしていました‥
でも内容は、
家康や家光らの饗応の場を飾った重文の本丸御殿表書院の襖絵や、食関係の書物、食器などの展示で、撮影可でした(^^)襖絵は前期と後期で入れ替わりです。
襖絵は色褪せてなく華やかでステキ、食器は葵紋の入った銀製で(おぉ!ひ素盛ったらバレるやつや〜
^^;)そして、和菓子の見本が載っている書物に描かれた和菓子がどれもとても可愛くて(レベル高いな〜食べたい!)と感心しました。
それに加えて名古屋東照宮に秘蔵の徳川家康画像や東照宮縁起絵巻が初公開でした。絵巻は松平広忠と於大さんが鳳来寺に参詣して出産するところからはじまり、最後は聖地たる日光が描かれています。とても繊細で美しいし、よかったです。私も去年田峯城の後、鳳来寺には参詣しました(^^)日光東照宮には行った事ないんですが‥^^;
写真は1798年、江戸の尾張藩上屋敷で行われた、のちの十代藩主斉朝の養子入りを祝う食膳の一部の復元です。奥の御向はうなぎとタイで、うなぎは武家では筒切りだったそう(お腹を割るのが縁起悪いのかな)豪華だけど、美味しいのかな〜という正直微妙な感じです。お酒には合いそうかな‥^^;
名古屋城の城宝館や徳川美術館も今年は家康さん関連の展示が多そうです〜
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-08)
桶狭間古戦場巡り中〜
大高城 兵糧食べよう 小春日和に^^;
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ぐこさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-06)
今日は北勢のお城・保々西城や治田城等を攻城してきました!
私の未攻城、空白エリアで、見たことない感じの縄張りがとっても面白かったです。(この部分どう活用するんやろ〜?^^;)という難解な縄張りもありました。
北勢には大きな勢力はなくて、(北勢四十八家)と言われるように鎌倉御家人の末裔から国人領主まで、小勢力が小競り合いをしていましたが、信長侵攻前は殆どが六角氏の被官で横の繋がりさえあったようです。
治田城は最初の滝川一益侵攻の時は落城を免れたとも言われますが、大体のお城は大した抵抗もない感じで落城しているそう。
だけど保々西城なんかは自分的には最大クラスの驚きの堀の深さ〜前の縄張りを活かしてるんだろうけど、信長侵攻後に本領安堵されたそうだから(めっちゃ掘り下げさせられたんかなー?)という印象を受けました^^;
彼ら北勢四十八家(ホントは53家みたい)は信長配下で様々な合戦に駆り出され、信長没後は信雄配下でした。賤ヶ岳合戦は良かったけど、小牧長久手合戦後、信雄が移封された先の家臣の中には名前はないそう‥没落したり、帰農してるのかな。
写真は保々西城の主郭土塁上から見た土橋と堀です。また北勢攻めたいです!
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