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7月1日(土)より、姫路城西の丸茶店において姫路城の期間限定御城印「令和五年夏版」が発売されます。あわせて黒田官兵衛の武将印も発売されます。
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【3/25〜5/31、兵庫県姫路市】姫路城御城印の新デザイン版が販売開始
3月25日(土)から5月31日(水)までの間、姫路城西の丸茶店において姫路城の限定版御城印「黒田官兵衛 春の陣版」が発売されます。
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【戦国軍師入門】黒田官兵衛――有能ゆえに疎まれた不遇の名軍師
秀吉に対する「御運が開かれる機会が参りましたな」のエピソードは幕末に書かれた『名将言行録』が出典なのでかなりあやしいと思います。秀吉が官兵衛を遠ざけた理由があるとしたら、彼がキリシタンだったことじゃないかなと。でも秀吉に恐れられたということが官兵衛のブランド価値を高めてもいますよね。
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大友義統が杵築城を攻めたとき、城を守ったのが細川家の家老、松井康之でした。黒田如水は救援に駆けつけ石垣原の戦いに勝利すると、その翌日からまた進撃を開始して豊後国を平定するのですが、ほんとうに天下を狙っていたのかは不明で、おそらくは俗説のようです。
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【戦国軍師入門】秀吉の四国征伐――官兵衛の策略でスピード勝利
秀吉による四国征伐において大活躍したのが黒田官兵衛でした。彼は大軍である利点を最大に生かして、兵力をむやみに分散せず、攻めるべき城も選んで、わずか3か月ほどで長宗我部元親を降伏させることに成功します。
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【戦国軍師入門】秀吉の中国攻め――「両兵衛」による3つの城攻め
黒田官兵衛が信長に臣従するために謁見したのが1575年(天正3年)7月、その4年後の1579年(天正7年)6月13日に竹中半兵衛は陣中で亡くなってます。しかしこの間の1578年(天正6年)10月から一年間、官兵衛は有岡城に幽閉されていたため、たしかにふたりが秀吉のそばで言葉をかわした期間はごく短期間ですね。
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【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台③――長宗我部元親の策略と、それを見抜いた黒田官兵衛・植田城
いずれ降伏するにせよ、交渉を少しでも有利に進めるために合戦に勝利しておくというのは重要です。この植田城での戦いが回避されてしまったことで、秀吉の当初の条件である「土佐・阿波を安堵」(元親は伊予一国を返還で交渉)から、結果として土佐一国のみとなりました。
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「関ヶ原の合戦」が数時間で終わらなければ、数か月から数年は全国各地が戦乱に巻き込まれたでしょうね。
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【〜9/23、盛岡】「合子形兜」実物公開 - お城ニュース by 攻城団
盛岡市にある「もりおか歴史文化館」において、黒田官兵衛ゆかりの「合子形兜」の実物が公開されています。
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竹中半兵衛と並ぶ「秀吉の両兵衛」、黒田官兵衛は大河ドラマにもなったので有名ですね。