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【歴代征夷大将軍総覧】大伴弟麻呂――名門出身の「最初の将軍」 731年(722年とも)~809年
最初の征夷大将軍である大伴弟麻呂が何を成し遂げたのか、そしてなぜ彼が選ばれたのかについて紹介します。平安京へ遷都した桓武天皇の時代の話なんですね。
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新連載「歴代征夷大将軍総覧」がはじまります [お知らせ] | 攻城団 全国のお城好きによるクチコミや写真の共有サイト
榎本先生の連載「歴代征夷大将軍総覧」がはじまります。征夷大将軍とはどういう役職だったのかというのは意外とむずかしい質問ですが、この連載では征夷大将軍に任官された全員の経歴や業績を見ていくことで、歴史の大枠を捉えようとしています。なかには知らない人物もいるかもしれませんが、楽しみながら読んでください。
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誠仁親王は正親町天皇の第一皇子です。信長が自らの居館としていた二条新御所を譲られ居住していたのですが、本能寺の変の際にはこの館に信忠が立て籠もったため、巻き込まれることになります。非常時とは言え、親王の邸宅に押し入っちゃえるほど織田家の権勢はすごかったんですかね。
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明智光秀より早く、信長に謀反を起こしたのは松永久秀だけではありません。 摂津・有岡城の荒木村重もそのひとりです。光秀の長女(お岸)が村重の息子・村次に嫁いでいたので、以前光秀が寝込んだ際に駆けつけたときも「荒木の父上が許してくれた」と話してましたね。
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細川ガラシャという名前のほうが有名ですが、明智光秀の娘・たまはあるいは父以上に波乱万丈な人生を送った人です。一般には三女とされることが多いのですが、このドラマでは次女の設定となっています。
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戦国時代に主君を裏切ることはそう珍しいことではなく、また織田信長は裏切り行為に寛容な大名でした。 もちろん朝倉景鏡が朝倉義景を裏切った理由がそのまま明智光秀が謀反を起こした理由と重なるわけではないのですが、腹心であり現場指揮官でもあったふたりの行動には通じるものがあったのかもしれませんね。
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武家同様、公家の分家も多々あり、三条西家は三条家の分家の分家です。この三条西実澄は大納言に任じられた公卿ですが、むしろ細川藤孝に古今伝授を授けた人として有名です。
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【江戸時代のお家騒動】二の丸騒動 後継者争いも加わり藩内を二分する一大派閥闘争
諏訪家といえば諏訪大社の最高位の神官(大祝 = おおほうり)をつとめた名家ですが、そこで起きたお家騒動が「二の丸騒動」です。藩政に関心のない藩主や病弱で政務が取れない藩主がつづくとダメですね。