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100名城および続100名城の攻略中

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龍造寺隆信を推します。隆信が幼少の頃、少弐冬尚の家臣馬場頼周により一族のほとんどを誅殺されてしまいます。このため曽祖父の龍造寺家兼らと共に柳川城の蒲池鑑盛を頼り、鑑盛はこれを受け入れるだけでなく、翌年には龍造寺氏を支援して頼周を滅ぼし家中の再興を果たします。その5年後、内紛により追い出された隆信を救ったのも鑑盛でした。そして再び鑑盛の支援を受けて肥前に復帰します。こうした恩義が蒲池氏にあるにもかかわらず、島津と通じている疑惑があることを理由に鑑盛の嫡子鎮漣を城に呼び出し誅殺(鑑盛は耳川の戦いで既に戦死)、さらに鎮漣一族もろとも皆殺しにしたと言われます。これにはさすがの家臣も離反が相次いだそうで、後の沖田畷の戦いの敗戦にも影響したことが予想されます。とはいえ隆信も幼少の頃、一族のほとんどを殺された経験があることから色々と疑心暗鬼になっていたのではとも考えたりはします。

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岡山城、備中松山城、津山城
備前国、備中国、美作国を網羅できるため。

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肥前名護屋城
わずか7年ほどですが当時最大規模の城郭で20万人も集まったと言われるほど隆盛を極めたから。

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今日のレビュー

図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟

中の写真、図が多くて「読みやすそう」と手に取りました。家康を生んだ松平氏について、戦国大名徳川家康の苦悩、家康を支えた家族、家臣団についてなど最新の情報で詳しく著されています。大河ドラマの予習としてもいいですが、「ここはこう解釈されたのか」と復習しながらよむのも一興です。今まで定説になっている「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康像とは、少し違った家康像が見えてきます。

黒まめさん)

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