片桐且元()さん 武将   フォロー

出生地 明智町(大正村) 明智光秀の出生地とほど近く、幼少期の遊び場は光秀ゆかりの八王子神社。5才で小里城や一日市場館址のある瑞浪市に転居。今もそこが親の住む地。化石が多く採掘される地に育ち幼い頃から、ゲンノウとたがね持参で採掘。現在化石コレクション多く、その頃から他の石という石が大好き。歴史が大好きな子どもで、中学生の時、自転車で市内の城址や史跡の写真を撮り調べたことをレポートしたのが金賞を受賞。高校は大井城址であった恵那高校に行き、大学は、これまた八王子城址に建てられた東京造形大学で彫刻を学ぶ。そこでも石を彫ったりしてた。大学卒業し結婚して尾張に転居。現在に至ります。片桐且元の末裔という家系図あり。半分信じる。

片桐且元さんのタイムライン

片桐且元さん が  岡豊城(高知県南国市) の写真をアップしました(01:05:46)

三之段 石垣とその手前に礎石
三之段 石垣とその手前に礎石

片桐且元さん が  名古屋城(愛知県名古屋市) の写真をアップしました(01:05:46)

旧二ノ丸東二之門
旧二ノ丸東二之門

ここに移築なんだね。城内移築。

片桐且元さん が  名古屋城(愛知県名古屋市) の写真をアップしました(01:05:46)

空堀 一説によると向こう側は馬出しとも……
空堀 一説によると向こう側は馬出しとも……

手前の石垣との対比が面白い。自分的には。

片桐且元さん の読者投稿欄「【都道府県バッジ】あなたが思う、山形県を代表するお城を教えてください(3つまでOK)」への回答が公開されました(00:23:59)

山形城
霞城(カジョウ)公園として整備され、復元であるが、高麗門など多くの建造物のかっての姿を戻そうと努力してる。あの最上義光公が今の形の基をつくられたようで、その最上義光歴史館など資料館も充実してるようだ。

長谷堂城
ちょっと見は春日山城のように山城のようだが、山城は山城でも、小ぶりながら惣構え、横堀などニュータイプの山城だという。防御力大で、直江兼続も落とせなかったはずだ。

米沢城
今や、神社としての知名度が高く、実質本丸のほとんどは上杉神社。ここは実際訪れたことがあるので、えっ?これが城?という感じです。しかしながら、伊達政宗の出生の地でもあり、移封後の上杉家の本拠地で、上杉謙信公も連れてこられてる場所。(もちろん遺体で…)
小説漆の実の実る国でも描かれているように、上杉鷹山公の質実なやり方そして城も天守閣もなければ石垣もなく、およそ城とは思えないかもしれないが、名君鷹山の上杉家ならではの城らしく、自分的には、他の大天守閣をもった城よりも好きである。その根底に流れているものが。

片桐且元さん の読者投稿欄「あなたが城好きになったきっかけを教えてください」への回答が公開されました(2019-09-15)

かなり遅れてだと思いますが、僕もひとこと。
プロフィールでも語った通り、生まれて行く先々城址や歴史と関係深いところが多く、また親が歴史の月刊本や歴史の辞典など買い与えてくれて、歴史に興味を持っていったということが大きい。
そして、歴史に関することで即答したりすると、親や先生、友達からも一目置かれたり、ほめられたり、そうすると、もっともっと色々調べてやろうかと欲が出てきて、気がつくと調べたり、試したりということが日常的になっていた。
お城好きになったのは、まわりの環境によるところが大きいです。
人、土地、時代……全てに感謝したい気持ちです。
精神的にめげることがあっても、一種の逃避かもしれませんが、お城の事調べたり、歴史の大きな流れの中に自分を投入すると、嫌なことがどうでもよいちっぽけな事に思えて、元気になるから。マジで!

片桐且元さん が  上田城(長野県上田市) の写真をアップしました(2019-09-15)

上田城二の丸の土累に立つ平和の鐘
上田城二の丸の土累に立つ平和の鐘

多分上田城とは関係ない建物だと思いますが、妙にマッチしてて、遺構でなくても好ましく感じます。

片桐且元さん が  松代城(長野県長野市) の写真をアップしました(2019-09-15)

松代城の顔
松代城の顔

太鼓門と太鼓門前橋。整った顔です。静かだけと、凛として清楚でしかも強く美しい姫のような。

片桐且元さん が  名古屋城(愛知県名古屋市) の写真をアップしました(2019-09-15)

名古屋城の外堀(今は空堀になっている)
名古屋城の外堀(今は空堀になっている)

道路脇なので、わざわざ入場料金払わなくても通る度に見てます。

片桐且元さん が  尾張岩倉城(愛知県岩倉市) の写真をアップしました(2019-09-15)

地名だけ残しひっそり移転していた真光寺の本堂
地名だけ残しひっそり移転していた真光寺の本堂

現在は龍タンシ寺。岩倉城在りし日は心光寺。信長公から命じられたのか、信長公が亡くなってから再興したのかはわかりません。岩倉駅北で歩いてすぐ。岩倉城址と併せて見学されることをお勧めしますが、一般にはあまり知られてないかもしれません。住民の方々にも。なんかそんな感じがします。寺のいわれについて。

片桐且元さん が  尾張岩倉城(愛知県岩倉市) の写真をアップしました(2019-09-15)

岩倉城在りし日真光寺 今ここに寺名を変え存在する
岩倉城在りし日真光寺 今ここに寺名を変え存在する

攻城メモ、最近のひとことで記述した通り、岩倉駅北にありました。龍タンシ寺と名を変え。一つ発見です。僕は彫刻を専門に学んだので作者が同じ事ハッキリとわかります。岩倉城址にある不動明王と、ここにある不動明王の石像は同じ作者の作品です。そこにも岩倉城と根底に流れるものの意味を感じます。なお、その不動明王像はこの写真には写ってません。写ってるのは真新しい仁王像です。
問題の石像は本堂の近くの藪の中、ひっそりとあるのでヘタをすると見落とします。

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今日のレビュー

業政駈ける (角川文庫)

長野業政と家臣たちが箕輪城を舞台に甲斐武田軍と戦う姿を描いた戦国時代小説。
信玄や真田昌幸側を描いたものはたくさんあり、それらを読んで武田軍団は好きな方でしたがこの本を読んでいると最強武田軍団を翻弄する箕輪の小領主を応援せずにはいられません。
そして箕輪城行きたくて…ただ上野国はなかなか遠いです。どこまで史実に近いかは分かりませんが物語を知って現地を訪れるとまた感動が違いますよね。
いつか業政に想いを馳せながら箕輪城攻城するぞ!

solitarioさん)

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