あらし

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2013年3月に日本100名城の登城・記録を開始し、続いて2017年に認定された続100名城も合わせ巡っています。2018年4月からは「ニッポン城めぐり」(位置情報アプリ)も合わせ楽しんでいます。

あらしさんのタイムライン

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-09)

備中高梁駅からの遠景
備中高梁駅からの遠景

JR備中高松駅から城のある臥牛山を望む

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-08)

廊下と階段
廊下と階段

天守西側の廊下から天守台石垣に接する階段が天守への入口となっている

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-08)

南御門から見る天守
南御門から見る天守

南御門をくぐると目の前に天守が聳え立っている
現存天守のなかで唯一山頂に聳える二重二階の天守

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-08)

大手門跡
大手門跡

三の丸の入口に構えられた大手門

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-08)

中太鼓櫓跡
中太鼓櫓跡

元和、寛永期(1615~44)以降の近世になって造られた櫓台
絵図には「上太鼓櫓」と書かれているものもある

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-07)

本丸跡(五と六の平櫓)
本丸跡(五と六の平櫓)

天守から本丸西南側を望む(左が五の平櫓、右が六の平櫓)

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-07)

鉄砲狭間
鉄砲狭間

矢狭間は縦に細長く,鉄砲狭間は丸、三角、四角の他さまざま

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-07)

三の平櫓東土塀
三の平櫓東土塀

大手門から三の丸に続く石段の脇に築かれている土塀

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-07)

本丸東御門
本丸東御門

平成6年(1994)に復元された本丸の勝手口

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-07)

雪隠跡
雪隠跡

雪隠(せっちん)とはトイレのことで、二の丸南西隅に石積みの竪穴遺構が残っている
この穴に壺や瓶を設置して用を足していたと思われる

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-07)

急な階段
急な階段

天守最上階へ続く急な階段
上部の手摺はツルツルです

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-06)

「復古図と沿革」案内図
「復古図と沿革」案内図

備中松山城は、延応二年(1240)に有漢郷の地頭秋庭三郎重信が
臥牛山の大松山に砦を築いたことに始まる

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-06)

与謝野鉄幹歌碑と備中松山城石碑
与謝野鉄幹歌碑と備中松山城石碑

別名、高梁城

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-06)

天守西側の廊下
天守西側の廊下

1940年(昭和15)天守の出入口として復元

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-06)

南御門から見る天守
南御門から見る天守

本丸への正面入り口の南御門に天守がそびえたつ
岩盤上にそびえたっている

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-05)

中太鼓櫓跡から眼下を望む
中太鼓櫓跡から眼下を望む

ちょうど雲海に包まれて爽やかな朝でした

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-05)

中太鼓櫓跡
中太鼓櫓跡

遊歩道から櫓台の石垣を望む

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-05)

天然の岩盤に建つ石垣
天然の岩盤に建つ石垣

大手門周辺の石垣で自然の岩塊の上に構えられている

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あらしさん が  備中松山城(岡山県高梁市) の写真をアップしました(2024-10-05)

現存天守と復元平櫓
現存天守と復元平櫓

右の天守は山城で唯一現存する天守
真中は五の平櫓と左が六の平櫓で1997年に復元された

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あらしさん が  備中高松城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-10-04)

二の丸から本丸へ続く橋
二の丸から本丸へ続く橋

本丸は最も高地の一辺約50mの方形をしており、
本丸の南東方向に本丸よりわずかに低い二の丸
が配置されている
左側は西沼でちょうど宗治蓮の花が咲いている

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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