伊勢国在住なので、藤堂高虎や織田信雄です。
藤堂高虎は大坂冬、夏の陣の際、大坂城のおさえとして伊賀上野城を築いたのを始め、後の居城となる津城も築いて伊勢国の大半を代々治める大名だったのです。
織田信雄は意外と関わりがあり織田信長が伊勢国に侵攻し、伊勢国を領地とすると織田信雄の家臣となった、降伏した国衆も多く、小牧・長久手の戦いまで伊勢国を治めました。他にも、羽柴秀吉などは小牧・長久手の戦いの際に自ら出陣した戦いもあり関係があります。
意外と色んな戦いの舞台となった伊勢国には色んな大名、武将とも関わりがあります。⬆羽柴秀吉が落とした霧山城
これは完全に彦根城です。
12天守の中でも小さい方ですがたくさん狭間があったり唐破風、破風がたくさんあったり、金箔(金箔かは分からないけど)が飾ってある破風などがあり攻撃面、見た目の面でもすごい天守。彦根城自体も仕掛けがすごいし。(今年中には攻城したいな〜〜)
鉄砲伝来 まず日本の戦を大きく変えた鉄砲。これがあってこそ長篠の戦いで信長軍が勝てた、戦国最強と言われた武田騎馬隊があっさり倒され信長の力が世に示された。信長の天下布武が一つ進んだであろう。篭城戦でも影響を与えた。もちろん野戦でも。
山崎の戦い この戦で羽柴秀吉が天下人になる大きな一歩になり、また、家康にも危険をもたらした。織田家重臣明智光秀公の軍が壊滅、それを世に示されたことで諸大名、織田家家臣の心が変化したと思う。またその勢いのまま、柴田勝家公も自害に追い込んだ。これでもはや秀吉の天下になったと言える。そして秀吉がいろいろな政をして、死。そして関ヶ原の戦い。
関ヶ原の戦い この戦で家康の力が世に示された。朝廷にも。その力を恐れ朝廷は、征夷大将軍に任命し、家康も幕府を開き、豊臣と戦、とうとう家康の天下になったというきっかけになったと思う。
桑名城
新しい御城印も売られていてあと2回は行きたい。お城の堀や、櫓台、石垣、など広範囲にあるので何回行ってもあきない。(近いし。)
お祭りも春にやってて攻城団の記録だけではないくらい行っている。画像は本多忠勝公像
伊賀上野城
毎年9月から11月に上野城お城祭り。知っているのですが、いってことないんですよねー
剣道や、和太鼓の演奏などが行われている。
調べてみたら9月3日から11月7日(今年)に行われるようです。伊賀上野城をバックに行われるので壮大で、綺麗です(観光三重)の画像からの感想。
(どの行事も、日にちと時間が決まってるので、注意!)
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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