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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-15)
 裏御門跡(右側)と古時打櫓跡(左側石垣)特別な日に使用する表御門に対して,裏御門は,藩士たちが日常的に使用する門だったそうです。説明板にあるCGによると立派な櫓門だったようです。そして左側の石垣の上には古時打櫓とよばれる櫓があり,時刻を知らせる太鼓が設置されていたそうです。同CGによれば二重櫓で石落しがあり,福岡城建物特有の白壁腰板,長い方杖が描かれています。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-15)
 武具櫓下石垣この上に武具櫓が建っていました。やはり隅石は矢穴も細かくしっかり算木積みがされていますが,勾配は緩い感じがします。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-08)
 生捕櫓
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-08)
 水の手御門跡(石垣の上は鉄砲櫓跡)ここに鉄砲櫓と生捕櫓の間に水の手御門がありました。野面積みの石垣の勾配は緩やかです。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 南丸 南西隅櫓から北を望む
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 南丸 南西隅櫓(南丸から)
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 棟札(多聞櫓内部)「嘉永6年(丑)3月から7年(寅)5月」にかけて「平櫓の南より28間が建て替えられた」と読めるようです。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 多聞櫓屋根裏梁については角材とボルトで補強しているようです。太い桁には墨書が見えます。また,棟木のところに棟札が見えます。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 石落し(多聞櫓内部)石落しのある部屋。細長い木を2本置いているのは,(人が)落ちないよう,危険防止のため。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 多聞櫓屋根(内部)多聞櫓の屋根がまた特徴的でした。まず,天井がありません。そのまま屋根裏。垂木の上に細い竹が縛り付けられています。その上はすぐ瓦のようです。このむき出しの竹については,「有事の際には編んでいる竹がすべて弓の矢になり、それらを結んでいる干しワラビは食料になる」とガイドさんもおっしゃっていた,なかなか有名な話のようで,熊本城の「畳には芋の茎が編み込まれ、壁にはかんぴょうが塗り込められていた」話を思い出しました。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 16小部屋をつなぐ通路(多聞櫓内部)一般に、多聞櫓は防御のための長塀であり、平素は倉庫等に利用していたものといわれています。部屋の内部は突き抜けの状態が普通とされていますが、この多聞櫓は16の部屋に独立しており、石落しのみで城外を見る窓のない部屋もあります。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 格子窓(多聞櫓内部)
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 鉄砲狭間(多聞櫓内部)
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 多聞櫓この日はちょうど多聞櫓 春の特別公開の日でしたので,中を見せていただくことができました。さて,その前に外観なのですが色々調べていて分かったことが,屋根(庇)の構造が独特で,この福岡城の建物以外ではあまり見られないと言うことです。それは垂木が見えないように鼻隠しがついていて,さらにその下に長い角材の方杖で庇を支えているところです。これは庇を長く持ち出して,壁の下部分の腰板張りの劣化を防ぐ工法なのだそうです。そういえば潮見櫓もそうなっていました。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 南二の丸(南丸)入口桐の木坂を上り右に折れるとその先は二の丸の南方,南二の丸になります。そこに築城当時の位置に現存する国指定重要文化財の「多聞櫓」が建っています。南二の丸は出入口が一つのみで,二の丸全体の中で独立した区画となっており,城の南方の防衛を担っていました。この出入口も石垣の上に平櫓(多聞櫓)があったようで,櫓門だったようです(福博惣絵図,福岡城模型より)
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 桐の木坂三の丸から西二の丸にあがるための2つの坂のうちの1つで,北側の松の木坂に対して桐の木坂と呼ばれます。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 二の丸西側石垣二の丸西側を守る石垣。野面積みで,かなりの高さ・長さで防御しています。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 桐木坂御門跡坂上(東側)から枡形虎口を望む。かつてここに桐木坂御門が建っていたようですが,詳細がよく分かりません。まず,位置がはっきりしません(私の情報収集能力不足でしょうが)。「福博惣絵図(正保3(1646)年」を見ると坂を上りきったところに門があるように見えます。しかし「福岡城むかし探訪館」にある「福岡城復元模型(1/400江戸時代後期)」には桐木坂に門は見当たりません。そして「国史蹟 福岡城・鴻臚館」のホームページには「「桐木坂御門」は、本丸を挟んで北東の上之橋御門に向い合う位置、南西側にあり、三の丸から二の丸へ入るための通用門として使用されています。進入路は防御のため鍵型の造りになっており、(中略)この桐木坂御門はいくつかの資料によって、建っていた位置や一層の門であったことは分かっているのですが、どのような意匠であったかは明らかになっていないようです」とあるのですが,その位置は示されていません。また,同ホームページによれば「日中大扉の片方が開かれ、定番が置かれていた」門であったようです。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 樹木所下(北西角)石垣隅石の大きさと矢穴の並びに目を引かれます。
樹木所はもともとは城の搦手に相当し,敵からの来襲を防ぐことを主眼に置いた場所で,ここと上の多聞櫓の二段構えで城内に侵入する敵軍を襲撃できる構造でした。戦の絶えた江戸時代に,椿などの植物を育てるようになり,樹木所と呼ばれるようになりました。
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西嶋八兵衛之友さん が 福岡城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2025-06-07)
 樹木所から多聞櫓,北西隅櫓を仰ぐ北西隅櫓下の隅石の強固さが伺えます。矢穴の細さ緻密さからも後年補修されたものと思われます。
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