日向山田城
日向山田城

[宮崎県][日向] 宮崎県都城市山田町山田


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.00(--位)
  • 見学時間:25分(--位)
  • 攻城人数:30(2488位)

日向山田城の案内板

日向山田城に設置されている案内板の内容を紹介します。

山田城跡
 龍廻城、朝霧城ともいい、本丸、二の丸(勢城)、上総(かずさ)城、安房(あわ)城、取添(とりぞえ)などからなる。
 正平(しょうへい)一四年(一三五九)肥後の相良定頼(さがらさだより)が築いたといわれ、のち、真幸院(まさきいん)の北原氏が入った。その後、天文一ニ年(一五四三)都城の北郷忠相(ほんごうただすけ)が攻め落として北郷忠茂(ただしげ)を城主とした。
文禄四年(一五九五)北原氏が宮之城に移封されかわって伊集院忠棟(いじゅういんただむね)が都城領主となり、その支配下となった。
 慶長四年(一五九九)忠棟が伏見で島津忠恒(ただつね)に殺されると、その子忠真(ただざね)が都城外十ニ外城に拠(よ)って島津宗家と戦った(庄内の乱)。当城には長崎治部少輔(じぶしょうゆう)、長崎休兵衛らが籠城(ろうじょう)したが、島津家に攻め落とされた。
 乱後、北郷氏が領主に復帰したが、元和(げんな)元年(一六一五)一国一城令により廃城となり、のち、地頭仮屋がおかれて、村統治の業務を行った。平成十七年八月
山田町教育委員会
   

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戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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