佐賀城
佐賀城

[佐賀県][肥前] 佐賀県佐賀市城内2-18-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.55(--位)
  • 見学時間:1時間9分(--位)
  • 攻城人数:1466(112位)

宗龍寺大門跡

宗龍寺大門跡
平五郎

宗龍寺大門跡を南から北へ望む。
正面突き当たりに見える入母屋破風が宗龍寺である。往時はこの位置に大門がありここが唯一の参道だった。
大門から西側(写真左側)は土塀が付けられており、それが宗龍寺の西面と東御門に続く土橋の交差する地点まで続いていた。
大門の東側(写真右側)は往時は白石鍋島家の屋敷地となっており、西から来た通路は撮影地点から南(写真手前)に折れたあと現在の自由民主党佐賀県支部の地点まで進みそこから東へ伸びていた。また屋敷の敷地は撮影地点から西門前の中程まで続いており、屋敷と参道の間には1〜2間ほどの濠があったようだ。ちょうど白石鍋島家の屋敷地が西御門のルートに覆いかぶさるような格好になっている。
ちなみにこの一帯ははじめ鍋島直茂の腹心にして治水の神様として知られる成富兵庫茂安の成富家が当てられていた。その後男子に恵まれなかった成富家に養子として出され養育されていた鍋島直弘が復籍したのち一家を創設、成富家の屋敷地を引き継ぐかたちでこの地におさまった。
どうやら参道自体は当時の城下絵図や周辺に残る不自然に細長い区画から推測して現在見られるものよりも広かったようだ。

   

この写真をいろんなキーワードで分類してみましょう。


撮影場所

地図アプリで見る

平五郎さんの当日の行程

佐賀城のほかの写真

すべてを表示

平五郎さんのほかの写真

すべてを表示

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

執権義時に消された13人ー闘争と粛清で読む「承久の乱」前史

北条時政、政子、義時を中心に権力闘争に関わる人物を紹介していくスタイルの書籍。鎌倉殿の13人の予習に丁度良い内容。自説は少なめなので読みやすいと思います。
それぞれの人物の事件を紹介した後で、現代社会における教訓を考察しているところが面白いところです。

しのはさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る