城跡から道路を挟んだ北にあり。その先は瀬戸内海です。何かなごむ建物の外観です。
披雲閣の西側にあたる建物 対面所として使用されていた大広間、床・違棚・付書院、3つの座敷飾りを備えた格式の高い部屋で建具を外すと、142畳の大空間となります。 (案内板より)
鞘橋から撮影。
石垣上の建物は香川県県民ホール。奥に見えるの艮櫓跡
奥はフェリー乗り場。台形状の地形は屋島です。
右側は鞘橋です。
香川県県民ホール敷地内にあります。ここは元々東の丸の北東隅で太鼓櫓跡に移築された艮櫓もここにありました。
撮影は駐車場から。ここより登城しました。
地下1階が存在したそうです。
天守をつなぐ唯一の橋。敵が攻めてきたら橋を落として本丸を浮城にできるように考えられているそうです。背後に天守台。
高松城の東側に位置する松平公益会前にあります。
とても大きいです。四国最大だった天守が再建されるか。天守の内部資料が見つかって欲しい。
石垣が復元されただけに、早く四国最大だった南蛮造の天守が見たいです。
天守台より北方を臨む
高松城の天守台には、かつて3重5階(3重4階+1階)建ての天守が建っていました。右の写真に写っているのは松平頼重(まつだいらよりしげ)は生駒期の天守を改築し、寛文10(1670)年に完成した天守です。この天守も老朽化により明治17(1884)年に取り壊され、その跡に初代藩主頼重を祀る玉藻廟(たまもびょう)が建築されていました。 石垣修理工事に伴い、天守台の発掘調査を実施しました。調査の結果、天守が建てられていた当時の地下1階の基礎構造がほぼ明らかになるという大きな成果をあげました。 天守の地下1階は東西13.6m、南北12.2mの空間の中に、「田」の字状に52個の礎石が並べられ、さらに礎石で区切られた4箇所の区画中央にはそれぞれ掘立柱が建てられていました。礎石には土台の痕跡が残っており、そこから地下1階が当時の寸法で東西六間、南北五間であることが判明しました。この寸法は「小神野筆帖」(おがのひっちょう)という文献に記された内容と合致しており、文献の記載が正確であることが判明しました。 発掘調査成果とあわせて、城内に現存する櫓との比較や、古写真・絵図・文献資料でも分からなかった、内部の階段位置や各階の内装についての情報はいまだ得られておらず、今後の新資料の発見と調査の進展が待たれるところです。
この写真の右側に天守台があります。
平成25年に名勝に指定されています。作庭は大正6年だそうです。
北の丸から撮影。
海城ならではですね。
昭和25年に重要文化財に指定されています。
城跡から道路を挟んだ北にあり。その先は瀬戸内海です。何かなごむ建物の外観です。
艮櫓跡より。東側から撮影。石垣上部は香川県県民ホール
夕方になって、青空を背景に撮影できました。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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