多聞寺は後藤又兵衛の菩提寺です。
「大坂夏の陣」、「河内道明寺の戦い」において討ち死にした又兵衛親子を弔うために、又兵衛の一周忌にあたる1616年(元和2年)に三男・佐太郎(太郎正方)が尾崎村、岩本官兵衛から土地の施しを受け、建立しました。
本堂には後藤又兵衛の真牌(位牌)が祀られています。
黒田官兵衛二十四騎(くろだかんべえにじゅうよんき)のひとり「後藤又兵衛(ごとうまたべえ)」の菩提寺(ぼだいじ)曹洞宗(そうとうしゅう)祝融山(しゅくゆうざん)多聞寺(たもんじ)
多聞寺(たもんじ)は、曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院(じいん)です。後藤又兵衛基次(ごとうまたべえもとつぐ)と多聞寺(たもんじ)との関係(かんけい)は非常(ひじょう)に深(ふか)く、大坂(おおさか)夏(なつ)の陣(じん)、河内(かわち)道明寺(どうみょうじ)の戦(たたか)いにおいて又兵衛(またべえ)が討(う)ち死(じ)にした翌年(よくねん)の元和(げんな)2年(ねん)(1616年(ねん))に、又兵衛(またべえ)の三男(さんなん)佐太郎(さたろう)(太郎正方(たろうまさかた))が父(ちち)と兄(あに)を弔(とむら)うために、尾崎村(おさきむら)、岩本官兵衛(いわもとかんべえ)から土地(とち)の施(ほどこ)しを受(う)け、又兵衛(またべえ)の一周忌(いっしゅうき)に合(あ)わせて多聞寺(たもんじ)を建立(こんりゅう)しました。
又兵衛(またべえ)の菩提寺(ぼだいじ)である多聞寺(たもんじ)は、現在(げんざい)も又兵衛(またべえ)の真牌(しんぱい)(位牌(いはい))を本堂(ほんどう)に奉安(ほうあん)しています。
また、西隣(にしどなり)の大村町(おおむらちょう)には、三男(さんなん)佐太郎系(さたろうけい)の末裔(まつえい)の方(かた)が現在(げんざい)も住(す)んでおられます。加西市観光まちづくり協会(2014年3月)
多聞寺の観光情報
住所 | 兵庫県加西市尾崎町288 |
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