琴弾岩のところにある案内板です。
猿掛城は倉敷市(真備町)と矢掛町、旧郡だと下道郡と小田郡の境にある城で両方に案内板と登城道があります。
琴弾岩のところにある案内板です。 猿掛城は倉敷市(真備町)と矢掛町、旧郡だと下道郡と小田郡の境にある城で両方に案内板と登城道があります。
吉備真備が晩年にここで琴を弾いたそうです。 写真の道路側からだとわかりませんが、川側からだと川に張り出した大きな岩だとわかります。 また、ここにも猿掛城の案内板があります。
琴弾岩のところにある「猿掛城跡 登り口まで500m」の道標の裏側に書かれた案内図です。
中央の山が猿掛城です。登城口の案内板前に駐車スペースがあります。
真備町(倉敷市)側の登場口にある案内板です。
登場口、道には道標があるので迷わないと思います。
真備町(倉敷市)側(猿掛口)から登ると写真の左側から、矢掛町側(大手道)から登ると寺丸経由で写真右側から大夫丸へ到着します。 また山頂の曲輪群へも同じように東(大手道)・西(西登山道)2つの登城道がありますが、どちらも六の丸の北側の帯曲輪(馬場)に着くことになります。
真備町(倉敷市)側(猿掛口)から登っても、矢掛町側(大手道)から登っても大夫丸へ到着します。 また山頂の曲輪群へも同じように東(大手道)・西(西登山道)2つの登城道がありますが、どちらも六の丸の北側の帯曲輪(馬場)に着くことになります。
山頂の曲輪群の北から東にかけて細長い帯曲輪・馬場が巡っています。 写真は六の丸の北側の馬場・帯曲輪を東から撮ったものです。 大夫丸から東(大手道)・西(西登山道)どちらのルートをつかってもこの馬場・北側の帯曲輪に出てきます。
現在山頂の曲輪群へは六の丸の切岸につくられた登城道から行くことになっていますが、本来のルートは東側の馬場へ進み、そちらの虎口から登ったようです。
山頂の曲輪群の北端の曲輪になります。 また山頂の曲輪には、曲輪の中央付近に石列が並んでいますが、こちらは旧郡、町境を示したもので城の石垣から抜き出し、並べられたものだそうです。
五の丸から撮影、奥が三の丸です。 また山頂の曲輪には、曲輪の中央付近に石列が並んでいますが、こちらは旧郡、町境を示したもので城の石垣から抜き出し、並べられたものだそうです。
三の丸の切岸の東(左側)・上端には石積が残っています。 また山頂の曲輪には、曲輪の中央付近に石列が並んでいますが、こちらは旧郡、町境を示したもので城の石垣から抜き出し、並べられたものだそうです。
四の丸の西側には搦手道があり倉庫などがあった西側の曲輪群につながっています。
城内で最大の曲輪になります。東側に大手門や井戸の跡があります。 また山頂の曲輪には、曲輪の中央付近に石列が並んでいますが、こちらは旧郡、町境を示したもので城の石垣から抜き出し、並べられたものだそうです。
切岸の上端に石垣が残っています。当時はもっと石垣が組まれていたようですが、城内を縦断している郡の境を表すための石列に抜き取られてしまっているようです。
写真では分かり難いですが井戸跡の窪地があります。
猿掛城は丁度、旧小田郡と旧下道郡に位置する城で、山頂の曲輪群の中央にはその境に沿って石垣から転用された石が並べられています。
三の丸の東側には大手門と伝わる虎口跡が残っていますが、藪になっています。 (北側に石垣が残っています。)
三の丸の東側には大手門と伝わる虎口跡が残っていますが、藪になっています。 (北側に石垣が残っています。)
三の丸から二の丸の西側につくられた帯曲輪です。
三の丸の南側から撮影。 二の丸、本丸の高低差はあまりありません。写真の一番奥の段は本丸南端の土塁です。
写真右奥の段は土塁、次に本丸、そして二ノ丸です。
本丸と南端の大土塁(約3m)です。土塁の奥には深さ15mの大堀切が控えています。
本丸の土塁と大堀切の間には畝状竪堀が掘られています。
本丸にて
本丸にて
高さ3mの土塁と、深さ15m幅30mの大堀切が本丸の背後を守っています。 中央のロープで下りれるようにはなっていますが、手すりや階段などはありません。
中央の石列は石垣を崩して作った郡境の印です。
深さ15m幅30mの大堀切です。
本丸側はもちろん城外側も大変な高さと傾斜です。 南側からの登城道となっており、この上にも小さな曲輪のような段があり、尾根道が続いています。
堀底から本丸側を撮影。傾斜と高さが半端ないです。
堀底から大堀切の西側です。
大堀切の本丸の反対側は南側からの登城道となってます。小さな曲輪のような段が少しだけあり、尾根道が続いています。
土塁の端、巽の出丸への虎口部分に石積が残っています。
本丸の東側には石垣が少し残っています。 当時はもっと石垣があったようですが郡境の石列のために石垣の石材を持っていかれたようです。
本丸東側の帯曲輪です。
三の丸付近(搦手道へ少し下りたところ)から撮影。 写真中央の小田川と井原鉄道に挟まれた丘が穂井田元清が猿掛城から移転した矢掛茶臼山城です。
三の丸の西側、搦手道に沿って数段の曲輪があります。
北西尾根にある曲輪です。矢掛町側の登城道(大手道)脇にあります。
大手道の麓の写真です。山の斜面にも石積がありますが当時のものかはわかりませんでした。
矢掛町側の登城道(大手道)の入口にある石像です。
付近に駐車スペースはないので少し離れたところで見つけて下さい。
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