稲村城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
稲村城跡(いなむらじょうせき)
稲村城は、室町時代の十五世紀後半から天文三(一五三四)年に里見家の内紛によって里見義豊(よしとよ)が滅ぼされるまでの前期里見氏の居城でした。
ここは安房国の府中を押さえる位置にあり、里見氏による安房支配のための拠点でしたが、内紛を収めた分家の里見義堯が、本城を滝田・宮本方面へ移すと使用されなくなりました。そのため、戦国前期の城の姿がいまも残された、貴重な遺跡と評価されています。
城の中心部は、東西五百m、南北五百mの丘陵で、山頂に広い主郭や土塁、三ケ所の堀切などがあります。北側と西側は急斜面の要害で、東側と南側には複雑に腰曲輪を重ねるなど、数多くの遺構が残されています。
また、北の滝川は外堀の役割をもち、東・西・南を廻る丘陵は外郭の役割をはたして、東西約二km、南北約一、五kmにわたる大規模な範囲の城で、安房国の統治を主眼にした所堅固の城と考えられています。平成十年二月 里見氏稲村城跡を保存する会