戸倉城に設置されている案内板の内容を紹介します。
戸倉城
戸倉城は、標高434メートルの城山(しろやま)山頂を中心として東西の峰に築かれた中世(ちゅうせい)の山城(やまじろ)である。東方の峰に城の中心となる曲輪(くるわ)(削平地(さくへいち))を設け、その下に数段の曲輪を備え、虎口(こぐち)(出入口)は枡形風(ますがたふう)に方向転換してから出入する防衛上効果的な形態がとられている。山頂近くには現在でも水のわき出る水の手(て)(城内の飲料水としての井戸)が残る。西方の峰を中心として築かれた部分は出丸(でまる)に相当する。この峰上からは西方に桧原(ひのはら)城が眺望できる。出丸のある山腹には堀切(ほりきり)や竪堀(たてぼり)の遺構が認められる。
戸倉城の築城時期は明らかでないが、土着の地侍(じざむらい)と考えられる宮本(みやもと)氏や網野(あみの)氏らが構成員となった南一揆(みなみいっき)衆の活躍時期に使用されたものと思われる。尚、宮本家には南一揆に関する文書(もんじょ)が残っている。五日市市
- 監修・文責
- 中田正光