早川城
早川城

[神奈川県][相模] 神奈川県綾瀬市早川


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.89(--位)
  • 見学時間:40分(--位)
  • 攻城人数:66(554位)

東郷元帥祖先発祥之地

早川城の主郭南西端には櫓台と伝わる塚があり、その上に「東郷元帥祖先発祥之地」と書かれた顕彰碑が建てられています。

早川城を築いた渋谷氏は、1213年(建暦3年)5月に起こった和田合戦で和田氏に加担したため、渋谷高重をはじめとする一族の多くは討たれました。
しかし、1247年(宝治元年)6月に起こった宝治合戦では、残った一族が幕府側に立ち勝利しました。この戦功により薩摩地頭職に任じられ、渋谷実重ら一族の多くは薩摩国へ下向しました。

実重は薩摩で東郷氏を称しています。東郷氏は戦国時代になると島津氏の重臣としてつかえました。
また、東郷氏の末裔には示現流開祖の東郷重位のほか、日露戦争で参謀・秋山真之とともにロシアのバルチック艦隊を撃破する日本海海戦に勝利した司令官である東郷平八郎がおり、1932年(昭和7年)に子孫により記念碑が建立されました。

   

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八本目の槍

豊臣秀吉と柴田勝家の雌雄を決した賤ヶ岳の戦い。この戦いで活躍した、賤ヶ岳七本槍のメンバーのその後の人生と、八本目の槍、石田三成との人間模様を描いた物語です。
福島正則、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明、7人のひとりひりの小姓時代の呼び名で物語が構成されてます。

それぞれが違う生い立ちの中、豊臣秀吉の小姓として見出され、天下分けめの関ヶ原の戦いで、東軍についたもの、負けるとわかっていても西軍についたもの、その後の世の中の流れを見据えた石田三成が、それぞれ7人に思いを寄せ、奔走した様が描かれており、石田三成の戦旗に記された意味が読み取れます。

本の帯にある通り、この小説を読み終えた時、その男石田三成を、大好きになりました。

デュラけんさん)

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