龍王山城に設置されている案内板の内容を紹介します。
龍王山城(りゅうおうさんじょう)
龍王山城(りゅうおうさんじょう)は、奈良盆地(ならぼんち)の東(ひがし)にそびえる竜王山頂上(りゅうおうさんちょうじょう)(標高(ひょうこう)五八五メートル)に築(きず)かれた山城(やましろ)である。城(しろ)の範囲(はんい)は北城(きたしろ)と南城(みなみしろ)に分(わ)かれ、奈良県(ならけん)に残(のこ)る城跡(しろあと)では最大級(さいだいきゅう)に含(ふく)まれ、信貴山城(しぎさんじょう)に次(つ)ぐ規模(きぼ)である。中世(ちゅうせい)・大和(やまと)の有力豪族(ゆうりょくごうぞく)である十一氏(といちし)の山城(やましろ)として発達(はったつ)した龍王山城(りゅうおうさんじょう)は、十六世紀(せいき)に記録(きろく)が残(のこ)り、十一遠忠(といちとおただ)によって本格的(ほんかくてき)な城郭造(じょうかくつく)りがなされたものと思(おも)われる。
郭(くるわ)を尾根筋(ねすじ)に沿(そ)って一列(いちれつ)に築(きず)いた連郭式山城(れんかくしきやましろ)の形態(けいたい)をもつ南城(みなみしろ)に比(くら)べて、北城(きたしろ)は本丸(ほんまる)の回(まわ)りに郭(くるわ)を配置(はいち)した環状式山城(かんじょうしきやましろ)で、石垣(いしがき)の跡(あと)も各所(かくしょ)に残(のこ)すなど、城郭(じょうかく)の特徴(とくちょう)では南城(みなみしろ)が古(ふる)い形態(けいたい)を保(たも)ち、北城(きたしろ)が後(あと)に築(きず)かれたものと考(かんが)えられる。龍王山城(りゅうおうさんじょう)は、天正(てんしょう)六年(ねん)(一五七八)に破却(はきゃく)されたが、日本(にほん)の中世(ちゅうせい)に築(きず)かれた山城(やましろ)の原形(げんけい)を良(よ)く留めており、城(しろ)の歴史(れきし)を知(し)るうえで貴重(きちょう)な遺跡(いせき)である。天理市教育委員会