長久手城
長久手城

[愛知県][尾張] 愛知県長久手市長久手町城屋敷2408


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.73(--位)
  • 見学時間:18分(--位)
  • 攻城人数:251(413位)

血の池公園

血の池公園
弥一左衛門

血の池のいわれ
天正十二年四月九日の長久手合戦では、この一帯が主戦場となり付近の御馬立山に布陣した家康軍と、秀吉方の池田勝入、池田元助、森長可などの武将が対峙し、死闘を繰り返した結果、秀吉方の三将が討死しました。
血の池は、家康方の渡辺半蔵などの武将が、血創や刀剣を洗ったことからその呼び名がついたと言われています。毎年合戦の行われた頃になると、池の水が血の色に赤く染まって漂ったと言い伝えられており、名松鎧掛けの松とともに永く人々の心に語り継がれていました。
  昭和六十年三月  長久手町  (公園内石碑より)
ちなみに今は池はなく普通に野球の練習してました。

   

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最後の決断

戊辰戦争における越後といえば、新政府軍VS長岡藩と思いがちですが、この本では高田・長岡・新発田・村上諸藩の決断を取り上げられています。その決断がどのタイミングで行われ、結果どうなったのか、一気に読んでしまいました。

まーPさん)

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