古木江(こきえ)城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
古木江城跡
室町時代の末期、織田氏の砦として築かれました。
当時この地方には、一向宗が広がっていて、真宗門徒のその教義に対する信心は絶大なもので、信長の意向に反抗しました。
信長は、長島の一向宗門徒を滅ぼすため、弟の信興にこの古木江に城を築かせ、門徒勢力の分断をはかりました。
信興がこの城を守っているとき、弥富の服部党や近くの農民に囲まれ、六日間戦いました。しかし兵力が少なく城に攻め込まれ、やぐらに上がって自害したと「信長記」には書かれています。地元では城外で討ち死にしたと伝えられています。元亀元年(一五七〇)一一月ニ一日のことです。
古木江城は小木江とも書き、地名にも「子消」「討レ」「頭倶前」などの名が残っていました。
富岡神社は、この一角に城の鎮守としてあったと考えられています立田村教育委員会