前田城址にある速念寺に設置されている案内板の内容を紹介します。
前田速念寺の由来
速念寺は、加賀百万石の太守前田利家公寄進になる阿弥陀如来を本尊としている。
ここはもと海東郡前田村と言い、前田城があり、前田氏発祥の地である。利家公も前田で生まれ、幼少にして前田城の出城(でじろ)、新設の荒子城に移って成長したとするのが寺伝である。前田氏は菅原道真公を祖と仰ぎ、梅鉢の紋を用いる。
前田氏は織田信長に属し、西に蟹江城、東に荒子城、南に一色城、等を支配し、前田城はその中心であった。
前田城は、天正十二年長久手(ながくて)の合戦ののち、秀吉方についたため、家康方の攻撃を受け落城、城主与十郎は蟹江で討死、その子長種(ながたね)は北陸にのがれて利家に仕え、一万石(のち二万石)を得た。利家の長女幸(こう)を妻とした。
利家の叔父前田利則は、出家して意休と号し、浄土宗速念寺初代となり、速念寺は前田氏の鎮魂の寺となった。
境内には、前田家古墳や最後の城主与十郎の墓がある。また明治に建立された利家公の記念碑や、中部石川県人会のシンボル碑がある。 平成十三年十一月
前田速念寺