大草城(知多郡)
大草城(知多郡)

[愛知県][尾張] 愛知県知多市大草


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.02(--位)
  • 見学時間:34分(--位)
  • 攻城人数:440(282位)

大草城址の案内板

大草城址に設置されている案内板の内容を紹介します。

大草城址の由来
 大草城は、織田信長の弟で、後に茶人としても名を挙げた源五長益(有楽齋)が、築城しようとして途中で断念した"幻の城"である。
 矢田川とその支流の流域からなる大野谷、(現知多市の南部と常滑市の北部地域)を拝領していた長益は、大草の地に城を築き始めた。しかし、天正十年(一五八二)に本能寺の変で信長が暗殺され、長益も天正十二年(一五八四)の長久手の合戦後、しばらくして秀吉に仕え、摂津国味舌(現大阪府三島郡三島町)に天封された。このため、地形(ちぎょう)などの普請が大体終わったところで放棄され、廃城となり、幻の城と呼ばれるようになった。
 ともあれ、西は伊勢湾が迫り、南は矢田川、東は神田川が流れ、それぞれ外堀の役目を果たし、なかなかの要害の構えであった。
 現在、大草城址は、本丸、二の丸と周囲の土塁、堀の大部分が、ほぼ完全な形で残っており、このような城址は、愛知県下でも数が少ない。このように保存状態がよいのは、尾張藩の徳川義直、光友に仕えた重臣、山澄淡路守英龍が大草を給地され、寛文六年(一六六六)に城址の西南方に屋敷を構えるなど、歴代の支配者が保存に力を注いだためである。
 市では、こうした歴史的価値をとどめる城址をさらに保存、広く市民にも憩いの場として開放するため、大草公園として整備。本丸跡に天守閣を模した展望台を設置したり、二の丸跡に散策道を設けている。施設の保全と管理が行われている。知多市
   

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猛将妄想録 1 (電撃ジャパンコミックス)

いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

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