東福寺城
東福寺城

[鹿児島県][薩摩] 鹿児島県鹿児島市清水町田之浦


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.12(--位)
  • 見学時間:41分(--位)
  • 攻城人数:107(1026位)

東福寺城の案内板

東福寺城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

東福寺城跡
東福寺城跡
 この付近一帯を多賀山講演といいます。東郷墓地付近から鳥越トンネルの上までの丘一帯が、東福寺城の跡といわれています。
 海側は絶壁で、他方の国鉄線路沿側も急な斜面になっているため、山全体が天然の山城となっています。
 この城は藤原純友から4代目にあたる長谷場永純が天喜元年(1053)に築いたものです。
 また、長谷場氏は、その頃の船着場の辺りに春日神社を建立したといわれています。
 また、三州(日向、大隈、薩摩)としては初めての城とされています。
 南北朝時代(1336〜1392)には、この城をめぐって激しい戦いが行われました。この頃、鹿児島を本拠にしていた長谷場、矢上、中村、上山、谷山の各氏は、南朝軍に加わり、出水の山門院から鹿児島入りした島津氏は、北朝軍に属していました。両者は激戦を続けましたが、1343年、5代島津貞久は、東福寺城を勝ちとり、鹿児島をおさめる根拠地としました。
 さらに勢力をのばした島津氏は、8代島津元久の時代に清水城に移りました。
 このようにして形成された守護町(上町地区)が、鹿児島発達のもとになりました。鹿児島市
(贈)鹿児島中央ライオンズクラブ
   

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関西の城あるき (エルマガMOOK)

見たところ、チープなつくりのように感じますが、中身は結構濃いです。
関西が世界に誇る姫路城を始めとする国宝3城、その他の名城、山城の見所、立ち寄り所も掲載されている城専門のガイドブックです。サイズ的に、持ち歩きにもぴったりです。山城では、本郭までの目安時間も書かれていて、計画に便利です。少し足を伸ばした遠征城攻め旅についても書かれています。
その他現代にも受け継がれている「穴太衆」のこと、国宝5城の城もなかなど、興味をそそられる記事もちりばめられています。中でも、最後の城取材後記がとても面白かったです。

黒まめさん)

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