東福寺城
東福寺城

[鹿児島県][薩摩] 鹿児島県鹿児島市清水町田之浦


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.21(--位)
  • 見学時間:40分(--位)
  • 攻城人数:103(1059位)

東福寺城の案内板

東福寺城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

東福寺城跡
東福寺城跡
 この付近一帯を多賀山講演といいます。東郷墓地付近から鳥越トンネルの上までの丘一帯が、東福寺城の跡といわれています。
 海側は絶壁で、他方の国鉄線路沿側も急な斜面になっているため、山全体が天然の山城となっています。
 この城は藤原純友から4代目にあたる長谷場永純が天喜元年(1053)に築いたものです。
 また、長谷場氏は、その頃の船着場の辺りに春日神社を建立したといわれています。
 また、三州(日向、大隈、薩摩)としては初めての城とされています。
 南北朝時代(1336〜1392)には、この城をめぐって激しい戦いが行われました。この頃、鹿児島を本拠にしていた長谷場、矢上、中村、上山、谷山の各氏は、南朝軍に加わり、出水の山門院から鹿児島入りした島津氏は、北朝軍に属していました。両者は激戦を続けましたが、1343年、5代島津貞久は、東福寺城を勝ちとり、鹿児島をおさめる根拠地としました。
 さらに勢力をのばした島津氏は、8代島津元久の時代に清水城に移りました。
 このようにして形成された守護町(上町地区)が、鹿児島発達のもとになりました。鹿児島市
(贈)鹿児島中央ライオンズクラブ
   

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いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

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