松平城
松平城

[愛知県][三河] 愛知県豊田市松平町三斗蒔


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.97(--位)
  • 見学時間:47分(--位)
  • 攻城人数:179(357位)

松平城址の案内板

松平城址に設置されている案内板の内容を紹介します。

豊田市指定史跡
松平城址
豊田市松平町三斗蒔一七

 郷敷城と称する。応永(一三九四~一四二七)のころ松平(徳川)氏の始祖親氏の築城と伝わる。松平氏館跡の南東五百メートル、お城山と呼ばれている標高ニ九八メートルの山頂に位置し、本丸は約六アール、西北部山腹に二の丸、その下段に三の丸跡がみられる。西部の他は総て急峻な斜面で、本丸跡の下方約一五メートルの山腹に南、東、北の三方にわたり幅三~五メートルの空堀が約二百メートル残っていて、不時の敵襲に対する室町時代の典型的な山城である。文禄(一五九ニ~一五九五)のころに破却といわれているが明らかではない。昭和六一年三月
松平親氏公顕彰会
松平城址(まつだいらじょうし)
 郷敷(ごうしき)城とも呼ばれる。応永の頃(一三九四〜一四二七)松平氏の始祖親氏(ちかうじ)が築いたと言われる。跡を継いだ二代泰親(やすちか)(親氏の弟。一説に子。)が三男信光(松平宗家三代)とともに岩津(いわづ)(岡崎市)に進出してからは、次男信広の居城となったと伝えられる。(信広、信光は親氏の子との説もある。)信広は松平郷松平家(松平太郎左衛門家(たろうざえもんけ))の祖となり、子孫はその後も松平郷にとどまって四四二石取りの交代寄合旗本(こうたいよりあいはたもと)となった。城の南東直下を新城街道(国道三〇一号)が通る。
 城は標高三〇〇メートルの1が主郭(しゅかく)で、その西に三段の細長い曲輪(くるわ)(2〜4)が配置されている。これらの曲輪を南、東、北の三方向から囲むように横堀Aが巡らされており、途中数ヶ所で竪堀(たてぼり)となって斜面を下っている、そのほかに櫓台と思われる遺構Bや井戸跡Cなどが残っている。
 廃城の時期については諸説があり定かではない。豊田市教育委員会
   

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江戸城を歩く(ヴィジュアル版) (祥伝社新書 161)

江戸城ガイドツアーで実際にお声を聞いたということもあって、文章が話しかけるような文体なのでこの本片手に江戸城周辺を歩くとまるで黒田先生のガイドを聞きながら一緒に歩いている気分になります。(歩き読書注意)
(お城メインではないので個別レビュー投稿はちょっと迷ったので…お城関係の記載もある「江戸の神社・お寺を歩く(城東編)(城西編)」「江戸の大名屋敷を歩く」「第軍都・東京を歩く」も併せてオススメです。この4冊は江戸城ガイドツアー後の団員総会で購入!)
新書サイズですがガイドブックのように旅のお供に最適だと思います。
自分は東京在住なので散歩のお供にしています。

朝田丸さん)

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