史跡 金山城趾
天文六年斎藤大納言正義公築城し鳥峯城と稱す 永禄八年森三左エ門可成公入城金山城と改め森家三代城主なり 織田豊臣徳川に従って武名をあげ又兼山城下町繁栄の基をきずく
可成公は元亀元年(一五七〇年)江州宇佐山の砦に戦死しその子蘭丸坊丸力丸三公は天正十年本能寺の変に信長とともに戦死し二子二代城主森武蔵守長可公は天正十二年長久手の戦に戦死す 三代城主末子守右近大夫忠政公は慶長五年信州川中島海津城主に慶長八年更に作州津山城主となる 後廃城となり犬山に移す
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