風呂ヶ谷駐車場にあります。
東曲輪群は西曲輪群に比べると切岸などははっきりしていませんでした。
駅で立派なパンフレットが頂けます。
風呂ヶ谷駐車場にあります。
前日の夜、当日も少し雨が降ったのとイベントの片付けで車両が行き来したため道がぐちゃぐちゃでした。
西第十曲輪が見えてきました。
土嚢の部分は保護のためのもので堀切は狭く浅くなっているそうです。
西第二曲輪とは土橋でつながっています。
主郭には一部石垣が使われています。
当時このパンフは品切れでした。
当時このパンフは品切れでした。
城域は広いですが駐車場から曲輪が見えるくらいの高低差なので楽に見てまわれました。
駐車場から風呂ヶ谷の奥へ入っていき谷の奥で西曲輪の登城口と古城の登城口の分かれ道に行き当たります。写真は西曲輪の登城口になります。
風呂ヶ谷の奥には井戸跡があります。
沢の水を溜めていたようです。
風呂ヶ谷の奥には井戸があります。
手前から西第九、西第八、西第七曲輪になります。
西第十曲輪は一番整備されています。
西第十曲輪からは風呂ヶ谷を挟んで新城がよく見えます。
段状の曲輪の横の犬走りを通って本郭へ向かいます。
各曲輪もちゃんと下刈りがしてありました。
たぶん西第六曲輪からの撮影。 切岸もしっかり残っています。
堀切の先の切岸はほぼ垂直に切り立っています。
ほっそって思いましたが保護の為堀切は浅く狭くなっているそうです。
実は切岸側にも階段がついてました。
堀切と切岸で分断されています。
前日のイベントで使用されたセットが残っていました。
本郭から、堀切の間に土橋があります。
ホテルで見たニュースだと前日の「武家儀礼」のイベントではオレンジ色の板の上には畳が敷かれそこで武家儀礼を再現していました。
ホテルで見たニュースだと前日の「武家儀礼」のイベントではオレンジ色の板の上には畳が敷かれそこで武家儀礼を再現していました。
風呂ヶ谷を挟んで左に新城、右に西第十曲輪が見えます。またケーブルが風呂ヶ谷に向けて張られていますがこれを使って武家儀礼の準備をしたのでしょうか?
城址はどこの山肌も急傾斜です。 風呂ヶ谷にワイヤーが張られていますがこれで武家儀礼の準備をしたのかもしれません。
この曲輪の先に堀切がありその先が古城になります。
堀切に門が復元されていますが、扉が壊れているようです。(近くに扉の残骸がいくつも置いてありました。)
堀切の先は古城エリアになります。
道が5つに分かれていて上から東第四曲輪へ、真ん中が東曲輪群の下を通って本郭の石垣のあった虎口へ出る通路、下が新城や風呂ヶ谷に下りる通路です。 写真の反対側には古城への通路、堀切を通って北側の麓に下りる通路があります。
堀切に門が復元されていますが、扉が壊れているようです。(近くに扉の残骸がいくつも置いてありました。)
堀切の先は登山道となっており、北側(駅側)の天満神社の方へ下りられます。
堀切内の門は案内板によると敵から正面に攻め込まれないように斜めに建てられていたそうです。
中腹の天満神社の屋根が少し見えています。
わかりづらいですが二重の堀切があります。また写真左側の斜面を上がっている道が直接古城へ上がる道、右側の道が古城を回り込んで門が復元されていた堀切下に出る道です。
古城の南側にありますが、少し分かり辛かったです。 古城第四、五曲輪へは堀切側からも行けると思います。
小高い場所が新城の主郭になります。ぐるっと帯曲輪が付属しています。
こちらの堀切はよく残っていました。
小学校近くにありました。
城内には城址碑は建ってなく麓にしかないようです。小学校と永昌寺の間にあります。
「日本城郭体系」では山門は城門の移築と書かれていますがどうも新しそうです。
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