安田城(刈羽郡)
安田城(刈羽郡)

[新潟県][越後] 新潟県柏崎市大字安田字南谷


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.60(--位)
  • 見学時間:30分(--位)
  • 攻城人数:56(1764位)

石碑の横にある説明板(碑?)

石碑の横にある説明板(碑?)
ほむほむ

趣意書

安田毛利氏は源頼朝に仕えた大江広元が祖といわれ広元の四男季光が相模愛甲郡毛利庄(神奈川県厚木市)を名字地としたことから毛利氏を称したと伝えられている

季光の子経光はゆえあって佐橋庄南条に住みその孫時元が初代北条城主毛利丹後守である

北条二代城主憲広の次男憲朝は今から六0五年前(応安七年)の安田城主となり毛利安田氏を称した

以来二二四年間にわたり上杉氏の忠臣として活躍したが八代能元は主君上杉景勝に従って会津に移ったことによりこの安田城は廃城となったのである

然し能元が慶長六年主君と共に更に米沢に転封されたときでも録高は四三三三石で上杉家筆頭でありその地位は幕末まで保ちつづけたことが明らかになっている

公園とよばれ安田地区の人々に親しまれてきたこの城址が近年荒れゆくのを惜しみ地元城之組部落の計画的整備を引金として昭和五三年大字安田協議会が毛利氏のその後の調査のために米沢に派した代表により毛利安田氏の血脈がいまも続いているばかりでなくその菩提寺である慶福寺と共にこの安田城から能元に従って米沢に移り住んだ家臣の子孫の人達とも三八一年目に再会できたとの報告を得「ふるさと安田」の歴史の重みを後世に永く伝えるため誇りをもってここに安田城址顕彰碑を建立するものである

この碑の建設資金はわれわれのよびかけに応えた安田地区民の寄付金二一六万円によってまかなわれ碑銘は上杉家一六代当主上杉隆憲氏の揮毫によるものであり碑文は史料調査委員会が各界の指導をうけながらまとめたものである

昭和五四年一一月二三日  安田城址記念碑建立委員会  藤巻純雄 謹書

※原文のまま載せてあります。

   

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撮影場所

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カメラ情報

機種名SHARP 506SH
ISO20
F値1.9
ホワイトバランスオート
シャッタースピード1/125
レンズ焦点距離4.2 mm
フラッシュフラッシュ未発光、強制発光モード
露出モード自動露出
露出時間1/126
画像方向

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