韮山城
韮山城

[静岡県][伊豆] 静岡県伊豆の国市韮山


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.22(--位)
  • 見学時間:43分(--位)
  • 攻城人数:581(248位)

韮山城跡の案内板

韮山城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

韮山城跡(にらやまじょうあと)
 右前方の山を通称「龍城山(りゅうじょうさん)」といい、ここが戦国時代の代表的な平山城(ひらやまじろ)という形式の城として知られる「韮山城」の跡である。韮山城の最初の築城については、明らかではないが、「北条五代記」によると、文明年間(1469~1486)堀越公方(ほりごえくぼう)・足利政知(あしかがまさとも)の家臣外山豊前守(とやまぶぜんのかみ)が城をつくったのが始まりとされている。その後延徳三年(1491)駿河興国寺城(こうこくじじょう)にいた伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)が堀越御所(ほりごえごしょ)の内部の争いにつけ込み、政知の子、茶々丸(ちゃちゃまる)を滅ぼして伊豆の領主となり、韮山城を本格的に築城したといわれている。早雲は、この地を本拠として小田原城を奪い、後北条氏五代の基(もと)を築いた。本拠を小田原に移した北条早雲は、後に韮山にもどり永正十六年(1519)八十八歳で没するまで、三十三年間ここに住んだ。
 現在の韮山高校の校舎の付近を今も後座敷(おざしき)といい、早雲の居館跡であろう。小田原北条氏の西方の守りとして、韮山城は重きをなした。天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐のときは、城主北条氏規(四代氏政の弟)は、約四万の大軍に対して、三千余の将兵をもって、この城を守り通したのである。
 北条氏規が城を退いた後、徳川家康は内藤信成を城主としていたが、慶長五年(1600)移封(いふう)により韮山城は廃城となった。山の高い所に本丸、次いで二の丸、権現平、三の丸、塩蔵跡や土塁、空堀、内堀などが残っている。 韮山町教育委員会
韮山町産業観光課
韮山城跡
韮山城とは
 明応2年(1493)、伊豆に侵攻した北条早雲(伊勢新九郎盛時)によって本格的に築城され、およそ100年にわたって存続した中世城郭。早雲は、韮山城を本拠地として伊豆から関東地方へ進出し、戦国大名北条氏の基礎を築いた。永正16年(1519)早雲が没したのも韮山城である。
 北条氏の本拠地が小田原に移った後も、韮山城は領国支配と防衛の重要拠点であった。天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原攻めの際、4万を超える軍勢に包囲されたが、約3か月にわたって持ちこたえ、小田原城と前後して開城した。その後、徳川家康の家臣内藤信成が城主となり、慶長6年(1601)信成の駿府転封とともに廃城となった。
 韮山城は通称「龍城山(りゅうじょうざん)」に所在し、本丸・二の丸などの曲輪(くるわ)や、土塁、堀などが良好な状態で残存している。平時の居館などがあったと思われる平地部分には「御座敷」の字名が残る(現県立韮山高校校地)。また、周辺には本城を囲むように「土手和田砦」、「和田島砦」、「天ヶ岳砦」、「江川砦」があり、現在でも曲輪や土塁などの遺構が確認できる。

年代伊豆の国市でのできごと日本史上のできごと
明応2年(1493)北条早雲、堀越御所を攻め滅ぼす
北条早雲、韮山城を築城
明応4年(1495)北条早雲、小田原城を奪う
永正16年(1519)北条早雲、韮山城で没する
天文12年(1543)種子島に鉄砲伝来
天正10年(1582)本能寺の変
天正18年(1590)韮山城、対豊臣軍籠城戦→開城豊臣軍小田原攻め
内藤信成、韮山城主となる
慶長6年(1601)内藤信成駿府へ転封、韮山城廃城
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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