黒野城
黒野城

[岐阜県][美濃] 岐阜県岐阜市黒野


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.04(--位)
  • 見学時間:31分(--位)
  • 攻城人数:228(467位)

黒野城跡の案内板

黒野城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

岐阜市史跡
黒野城跡
昭和三十年十二月二十二日指定
 黒野城跡は加藤氏の居城で、面積十七・五二三㎡、本丸築堤の高さ五・四mあり、その周囲の濠は水をたたえて昔の面影をよく残している。西南の入口付近には今でも城門の礎石があり、周辺には惣門口・木戸・二之丸・井之上・徳田屋敷などの地名が残っている。
 加藤光泰は、はじめ斎藤龍興に仕えていたが、斎藤氏の滅亡後は織田・豊臣氏に仕え甲斐国甲府城主として、二十四万石を領したが朝鮮の陣中で歿した。その子左衛門尉貞泰は幼く領地を減され、文禄三年七月(一五九四)甲府城より黒野城に移って四万石を領した。関ヶ原合戦には東軍に属し、慶長十五年(一六一〇)まで十五年間、居城としていたが同年七月伯奢国米子六万石に移封となり、黒野藩は短期間で終った。元和三年(一六一七)伊予国大洲城に移り、左近大夫と名を改め、同九年五月に歿した。昭和五十七年二月
岐阜市教育委員会
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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