七州城
七州城

[愛知県][三河] 愛知県豊田市小坂本町7


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.59(--位)
  • 見学時間:24分(--位)
  • 攻城人数:371(306位)

挙母城(七州城)跡の案内板

挙母(ころも)城(七州(しちしゅう)城)址隅櫓跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

挙母(ころも)城(七州(しちしゅう)城)址隅櫓(すみやぐら)跡
 この城は、7ヵ国が眺望出来るところから「七州城」ともよばれ、桜城が工事建設途中で矢作川の氾濫により居城不能となったので、工事が変更され、天明2年(1782年)完成をみたものであります。
 内藤氏が2万石の館として、学文(さとふみ)以降6代89年間続きましたが、明治4年に全ての建物が取りこわされ、現在は隅櫓の石垣が往時の面影をとどめています。
 石垣は上辺部東西10.8m、高さ6mあります。昭和47年2月24日 豊田市教育委員会
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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