挙母(ころも)城(七州(しちしゅう)城)址隅櫓跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
挙母(ころも)城(七州(しちしゅう)城)址隅櫓(すみやぐら)跡
この城は、7ヵ国が眺望出来るところから「七州城」ともよばれ、桜城が工事建設途中で矢作川の氾濫により居城不能となったので、工事が変更され、天明2年(1782年)完成をみたものであります。
内藤氏が2万石の館として、学文(さとふみ)以降6代89年間続きましたが、明治4年に全ての建物が取りこわされ、現在は隅櫓の石垣が往時の面影をとどめています。
石垣は上辺部東西10.8m、高さ6mあります。昭和47年2月24日 豊田市教育委員会