大聖寺城
大聖寺城

[石川県][加賀] 石川県加賀市大聖寺錦町


  • 平均評価:★★★★☆ 3.64(--位)
  • 見学時間:56分(--位)
  • 攻城人数:207(515位)

大聖寺藩関所趾

大聖寺藩関所趾
ぴんぞう ぴんぞう

右側の説明板の内容
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大聖寺藩関所由来記
 大聖寺関は、前田氏が加賀藩を治める以前から置かれていたものであるが、寛永十六年に大聖寺藩が創建すると同時に藩が管理するところとなった。その支配権は加賀藩がもち、越中の境関と相対し、加賀藩二大関門として重要な役割を担った。
 平素は、大聖寺藩の軽卒を関番として配置したが、一朝有事に際しては金澤より士卒を派遣することとしていた。なお、有事とは、藩侯が死去した時、或いは金沢城が炎上した時や金沢城下に大火があった時などを指す。
 関所は、主に越前方面より大聖寺城下に入ろうとする行旅の人及び携行の荷物を検閲した。門扉の開閉は、概ね、日の出と共に開き、日没と共に閉じるを慣例とし、夜間は絶対的に通行を禁止した。関番はその数約十数人、非番と当番に分かれ、昼夜を問わず詰めていた。
 幕末には加賀から越前方面に抜けようとして、清水次郎長一行もこの関を通ったが、銃器を所持していたことで、咎められたという。この関所も明治二年(一八六九)の廃止令によって取り除かれ、その関門は現在、山ノ下寺院群の宗春寺に移設され、山門として利用されている。
 平成二十三年十一月十五日
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