白鳥城跡の案内板の内容を紹介します。
白鳥城跡
呉羽丘陵の最高峰にあり、眼下に富山平野を一望できる。
寿永二年(一一八三)に源義仲の武将今井四郎兼平が陣を張ったとするのが最初の記録である。その後数々の古文献にこの城のことが見えるが、豊臣秀吉の陣が富山城の佐々成政を攻めたときに陣を構えたことがよく知られている。
現在、秀吉本営の白鳥城の遺構はほとんど失われたが、昭和五十六年からの発掘調査によれば、本丸は空堀で囲まれ、周囲からはいくつかの土塁跡や敷石跡が発見されている。
出土の遺物には、土師質土器の越前焼スリバチ、中国製の染付け碗などがある。分析の結果、十六世紀後半のもので、秀吉の時代と一致し、その多くが富山県外のものとされ、主として東海から移動してきた兵が携えてきたと考えられる。
秀吉軍と佐々成政の伝承が富山に根強く語り継がれているのも、それだけ印象に残る出来事が多々あったからであろう。 平成十一年 富山市
城址平面図の案内板もあります。