多賀城
多賀城

[宮城県][陸奥] 宮城県多賀城市市川字城前


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.04(224位)
  • 見学時間:54分(184位)
  • 攻城人数:828(92位)

多賀城のパンフレット

多賀城市によって作成された史都多賀城の公式パンフレットです。

提供:多賀城市
提供:多賀城市
提供:多賀城市
『北の要衝』為政者が訪れたまち。
 「多賀城」の名が初めて文献に現れるのは、『続日本紀』の宝亀十一年(七八〇)三月二十二日条のことです。多賀城の創建は奈良時代前半と考えられていましたが、発掘調査の結果や多賀城碑の研究から、現在では神亀元年(七二四)とされています。多賀城には陸奥国の国府が置かれ、蝦夷(えみし)征討政策にあたった鎮守府も置かれていたことがわかっています。
 多賀城は宝亀十一年の伊治公鳥呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の反乱で焼失しますが、まもなく再建されます。延暦二十一年(八〇ニ)、鎮守府が坂上田村麻呂によって肝沢城(岩手県奥州市)に移された後も、国府の役割を果たしていました。平安時代の中頃を過ぎると「多賀城」の名は正史上で確認できなくなり、やがて「多賀国府」の名が現れるようになります。文治五年(一一八九)、奥州藤原氏を攻め滅ぼした源頼朝も多賀国府に立ち寄り戦後の処置を命じたことが『吾妻鏡』に記されています。南北朝時代には北畠顕家の奥州少幕府として名をとどめますが、徐々に荒廃し、歴史の中に埋れて行くのです。
提供:多賀城市
提供:多賀城市
提供:多賀城市

PDFで表示する

その他のパンフレット

ほかにも多賀城についてのパンフレットを提供していただきました。

提供:多賀城市

PDFで表示する

提供:多賀城市

PDFで表示する

提供:多賀城市

PDFで表示する

   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

多賀城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

長野の山城ベスト50を歩く

散歩者さんがお勧めしているシリーズの長野版。最近、持ち歩いているガイドブックはこちらです。すべての城に縄張り図とアクセス方法が記載されていて、山城の探訪には重宝します。
しかし日本100名城と同じで、この広い長野県でたった50城に絞ってあるので、選定された城にはたぶん、利用者によって賛否が残ると思います。私も「何であの城が設定されていないのか」という城がいくつか有ります。

TETSUさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る