三ノ段の土塁下にあたります。
もう終了してしまいました。
雨水を溜める井戸が堀切内に造られていました。
二ノ段からの眺望の説明板です。
雨上がりなので視界悪し
詰下段より
2月末まで期間限定の櫓が建っていました。
期間限定櫓がここに建てられていました。
土塁の基部には土留めのための石積みがあります。
石垣は土嚢でできていました。
詰ノ段に設置されていました。
歴史民俗資料館は右下の曲輪に建てられていたんですね。
階段状に土塁を伴った腰曲輪が続いています。 雨上がりで視界が悪かったのが残念。
櫓から
詰下段、二ノ段側
櫓から撮影 土塁内側が石積になっています。
建物礎石が曲輪の幅いっぱいに並んでいます。 土塁内側の石積はスペース確保のためだったのかも
建物礎石が曲輪の幅いっぱいに並んでいます。 土塁内側の石積はスペース確保のためだったのかも
三ノ段のものの解説です。
四ノ段の南側に突き出た小曲輪です。
木々で見えにくいですが写真中央に伝厩跡曲輪に建っている展望台が見えます。 結構距離ありました。
伝厩跡曲輪の解説ではなくて虎口の説明ですね。
三ノ段の土塁下にあたります。
四ノ段北西側の切岸下になります。
四ノ段北西側の切岸下になります。 少し窪んでいるな、程度にしか残ってないです。
山肌は笹で覆われていて分かりにくいです。
伝厩跡曲輪に建つ坂崎紫瀾の岡豊公園征清凱旋碑の説明板なのですが字が薄くなってきています。
写真奥の山が岡豊城の主郭です。
西側斜面(歩道脇)には竪堀が沢山掘られていて横堀とクロスしてる箇所も多くありました。
遊歩道のこの膨れた個所は腰曲輪だったようです。
三重堀切のあるところです。 遊歩道のこの膨れた個所は腰曲輪だったようです。
三重堀切の先には小曲輪があるようです。 また遊歩道側には石積がありました。
長宗我部元親RALLYというイベントのため電飾がまわりに置かれていました。
ポニーテールなんでしょうか?
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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