山上からの道は通行止めでした。
水の手曲輪自体も城山側は立ち入り禁止になっています。
信号待ちでパチリ。 熊野川の河口近くの川岸にあります。
城山(丹鶴山)の中腹にある駐車場です。石畳の坂に歩道があって駐車場ぽくないですがここに停められます。 こちらからの登城道は後につけられたものだと思います。
こちらの登城道は古図には無いので公園化したときにつけられたものかも。
1952年の台風の大雨で崩落したままだそうです。
山上からの道は通行止めでした。 水の手曲輪自体も城山側は立ち入り禁止になっています。
写真中央左寄りの石垣が出丸です。
横矢のための折れもあります。
本丸とはもともと地続きだったようですが、本丸と切り離され二重櫓台になり、本丸側にも虎口や門が作られていたようです。(虎口を石垣で塞いだあとが本丸側の石垣にあるようです。) さらに最終的には橋が本丸に架けられていました。
土砂崩れの跡にブルーシートが
本丸とはもともと地続きだったようですが、本丸と切り離され二重櫓台になり、本丸側にも虎口や門が作られていたようです。(虎口を石垣で塞いだあとが本丸側の石垣にあるようです。) さらに最終的には橋が本丸に架けられていました。 出丸櫓台の北西隅(写真左上側)は鬼門除けで角を取っています。
現在は封鎖されています。
現在は封鎖されています。
1952年の台風の大雨で崩落したあと、積み直しなどせずに通路に改変などしているので本来の姿ではないです。
1952年の台風の大雨で崩落したあと、積み直しなどせずに通路に改変などしているので本来の姿ではないです。
1952年の台風の大雨で崩落したあと、積み直しなどせずに通路に改変などしているので本来の姿ではないです。
東屋が建てられています。さらに下に一段あるように見えますがこちらは後世に造られた貯水池だそうです。
街中の森は矢倉城跡だそうです。 さらにその森の向こうには堀内氏屋敷跡もあるそうです。
1952年の台風の大雨で崩落したあと修復せずに改変して通路がつくられています。
本丸側からの入り口です。
かなり広い曲輪になっています。
城の西側になります。
小さな枡形になっています。
大手道から松ノ丸への虎口になります。
オブジェ的に石材が転がっていました。
水ノ手郭へ下りる道なのですが崖崩れで立入禁止です。
本来の大手道は現在の大手道の中半あたりから折れて西側に下りるようになっていました。現在は真っすぐ南側に下りるようになっています。
現在は南側へ大手への道が新設されています。
現在二の丸は保育園になっています。
水野氏時代に鐘ノ丸にあった二ノ丸は西側の麓に移され麓の二ノ丸周辺には石垣で囲まれた曲輪がいくつか作られていきました。 現在は二ノ丸は幼稚園に、他の曲輪跡には民家が建っていますが石垣は残っています。 また大手道はこの写真あたりに入り口があったようです。
水野氏時代に鐘ノ丸にあった二ノ丸は西側の麓に移され麓の二ノ丸周辺には石垣で囲まれた曲輪がいくつか作られていきました。 現在は二ノ丸は幼稚園に、他の曲輪跡には民家が建っていますが石垣は残っています。 また大手道はこの写真あたりに入り口があったようです。
民家の下にも石垣が
舟入があります。
ここまでしか土砂崩れのせいで入れませんでした。
紀勢本線が城址をトンネルで貫いています。
旧市民会館跡周辺が観光駐車場になっていました。 大手側、水ノ手郭へはこの駐車場が便利そうです。(8:00~21:00迄) この通りのフランス料理やで昼食をとりました。美味しかったです。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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