説明板の内容は以下。 -- 埴生山城の由来 ◆築城年代は不明。 ◆城主は、河野家代々の重鎮「埴生氏」であった。最後の城主は、「埴生加賀守盛周」。 天正13年9月豊臣秀吉の四国征伐のさい道後湯築城主「河野通直」が降伏し、よって「埴生氏」も城を明け渡した。 ◆治めていた地域は、高岡・富久・久保田・吉田・今出の周辺。 現在の垣生の地名は、「埴生氏」からつけられたもの。 ◆その後の埴生山とその周囲は(大阪ソーダーと帝人の間)お鷹場とされていた。
墓地の一番上から山道。
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