経年劣化が認められますが、分かり易いです。
ここを見る観光客は、おりませんでした。
三の丸跡には、玉城中学校が建っております。城址で勉学できるのは、羨ましい限りです。
城址には、JRの参宮線が通っており、搦め手口には、小さな公衆トイレがあります。
北側から撮影しました。内堀には大賀ハスが植えられております。
経年劣化が認められますが、分かり易いです。
松山龍平記念館の北側にあります。見学するには、事前に申込みが必要です。
城址北側にある外堀です。かなり土砂が埋まっており、もはや水面を見ることが出来ません。
この池の西側に再移築された富士見門があります。
斜面に登って撮影しました。
環境整備のためか、何故か石垣に梯子が掛けられていました。
写真奥の石垣は土塁、石塁保護のために平成4年に新築された野面積み石垣です。様になっております。
城址西側から撮影しました。
周りに土塁があることがお分かり頂けるかと。
本丸の東側の石垣です。
本丸東側の石垣です。
再移築で現在地に建っております。本来なら左右に武者溜まりがあったそうです。
蓮池跡の西側にあります。
北の丸北側にある空堀と土塁(右側)です。
北の丸の北側にある土塁です。
北の丸には、城山稲荷神社があります。
富士見台跡は、石垣が設けられておりますが、一部は崩落しております。
危険防止のため、ロープが展張されています。
下にある建物は田丸保育所で、かって舟入が設けられておりました。
本丸と二の丸を結ぶ土橋で、石垣で補強されています。
石垣に上る小さな石段がありますが、これも近世での改変のような気がします。
玉城中学校西側に公衆トイレがあります。
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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