お知らせ 詳細
花崗斑岩の切込みハギの高石垣で、お城の外からも目立っています。不明門はあかずごもん、と呼ばれていました。
攻城前に市役所の14階に上がって俯瞰してみました。ガラス窓越しですが、とても素敵。攻城心が湧いてきます。
築城当時の大手は東の岡口門でしたが、浅野期の途中で北の一ノ橋の門に変更されました。名前も大手門に変更されたそうです。橋のたもとに城趾碑もありました。
井戸屋形は江戸時代から残っている建造物だそうです。松の木の陰が落ちている雁木も素敵です。
一中門跡の石垣は熊野地方産の花崗斑岩を用いた切込みハギの石垣がメインです。亀甲積みになっているところもみえます。 奥の右側から手前は和泉砂石が使われていて、変わり目がよくわかります。面白いです。
本丸は山頂で手狭なため、徳川時代には二の丸に居館や藩庁が置かれ、表、中奥、大奥とわかれていました。大奥と中奥間は土塀などがあったそうです。 いい感じの岩が残されていますが、中庭にあったものでしょうか。
素敵な風景です。他シーズンでも見たいな。
浅野期に鶴が飼われていたという伝承からそう呼ばれる鶴の渓あたりの石垣は、豊臣期の大ぶりな結晶片岩の野面積みで、ダイナミックです。天守台の細かい石材とも違った趣です。
勾配は11度あるそうです。柳が涼しさを感じさせてくれて好きです。
台所門を通り、表坂を登って、奥に見えるのが本丸表門です。九十九折りの坂を登ります。
天守台の石垣は築城時に積まれた中でも最も古い石垣だそうです。細かい結晶片岩による野面積みです。
連郭式天守はとても素敵ですが、全部写せないです。二の門は楠門と書かれてありますが、立派なイチョウの木が立っています。
少し低い東の峰は浅野期に御殿が建てられ二の丸とされましたが、徳川期には北側に二の丸が移され、山頂全体が本丸になりました。 赤いサンゴジユが天守に映えます。
城の西側に位置する門で、馬場が門を出たところにあり、馬を追い廻すことからその名が着きました。魔除けのための赤いカラーが素敵です。
堀に突き出た鳶魚閣とチラっと見える御橋廊下が素敵です。 西の丸は藩主の隠居所として、作られましたが、能や茶の湯などの数寄、自然を楽しむ場であったようです。
徳川期に積まれ、角石だけ花崗斑岩で他は和泉砂岩の高石垣です。
白壁の櫓がのり、江戸時代初期に建てられた門。 豊臣期から浅野期の途中までは大手門でした。
紀州藩士大村弥兵衛家の屋敷の長屋門を移築したもの。岡公園駐車場北にあります。
結晶片岩を切り出していた場所で矢穴なども見られます。 岡公園の北西はお城の建築・修理の御作事所があるバックヤードでした。
花崗斑岩の切込みハギの高石垣で、お城の外からも目立っています。不明門はあかずごもん、と呼ばれていました。
県立近代美術館前で颯爽と疾走されてます。
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