和歌山城について書かれた毎月サポーターによる城活ノートです。
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黒まめさんによる城活ノートです。(2025/01/03記入) 「和歌山城の魅力講座」というお題で元旦インスタライブが行われました。私も知らずに、アーカイブで視聴しましたが、結構面白かったです。お城EXPOで30分で語る予定がオーバーしてしまい、強制終了されたお話だそうです。ご興味のある方は、ぜひどうぞ! |
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和歌山城郭調査研究会の公開訪城会で攻城しました。スタッフとして参加したので、午前と午後の2回攻城しました(笑)ストリートミュージアムを使っての攻城で、4月に行った城旅とほぼ同じコースです。(というか私が昨年のこの企画を共有したわけです。)
訪問ガイドにも書きましたが、
わかやま歴史館の裏にあった「吹上門」から更に内側の「勘定門」があった所の石垣が左右異なる時代のものであることは、城旅参加者のみなさんにはお伝えしたのですが、砂岩と結晶片岩が混在し、主に結晶片岩の間詰石は長い年月の間に抜け落ちたものもあり、石垣補修の際、奥に土佐漆喰を注入した後間詰め石を詰めるという作業を行ったそうです。これが石垣補修の一つの形として、名古屋城からも見に来られたそうです。
大手門の裏紋について、こうの団長も質問してくださいましたが、門の瓦に家紋の瓦を使うことはほぼ無く、大体は巴紋の軒丸瓦が使用されるそうです。和歌山城でも門跡から裏紋の鍬形紋であれ葵紋であれ、家紋の軒丸瓦が発掘された記録も無いそうです。大手門復元の際、誰かが根拠なく裏紋を使う提案をし、そのまま裏紋の軒丸瓦を使用して復元されてしまったようです。
二の丸表御殿跡のすぐ近くにある井戸は、コンクリートで補修されているものの、中は当時の石組みが残っており、今も生きている(水がある)らしいです。(中は見ることができませんが、下に敷かれた石は当時のものだそうです。)堀の水位の上下と連動して水位が変化するので、どこかで堀と繋がっているのではないかということです。
今回得た情報は、また次回の城旅でも共有したいと思います。それまでに和歌山城を攻城される方は、「勘定門跡の石垣」、「二の丸の井戸(右中)」をぜひ御覧ください。