上赤坂城に立てられている案内板の内容を紹介します。
案内板は、上赤坂城の登城口となる村立学校給食センター前から少し山側に入った所にあります。
国史跡 楠木城跡(上赤坂城跡)
標高349.7m。比高150m。自然の険しい地形を利用した中世山城です。小根田城(おねだじょう)・桐山城(きりやまじょう)・楠木本城(くすのきほんじょう)とも呼ばれています。鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成(1294?~1336)によって築城されたといわれています。
元弘3年(1333)、平野将監(ひらのしょうげん)と楠木正季(くすのきまさすえ)は、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を断たれ陥落しました。糞尿を敵にかけた奇策は「糞谷(くそんど)」という地名になって残っています。合戦の様子は『太平記』からもうかがえます。
城の遺構は、曲輪(くるわ)・堀切(ほりきり)・竪堀(たてぼり)・横堀(よこぼり)で構成されています。とくに、大手前(おおてまえ)と搦手(からめて)にある堀切群は堀を二重にしたおおがかりなもので、大手前の「そろばん橋」は特徴的です。遺構からみると戦国時代に改修されていますが、それ以前と考えられる遺構も残っています。この場所には「一の木戸」がありました。
昭和9年3月に国史跡に指定されました。千早赤阪村