甘崎城の対岸、大三島の堤防にある案内板の内容を紹介します。
案内板には甘崎城の復元画も描かれています。
愛媛県指定史跡甘崎城跡(今治市上浦町甘崎古城島)
甘崎城跡は、戦国時代から江戸時代初期にかけての海城(うみじろ)です。考古学的調査によると、遺物は15・16世紀の年代を示し、16世紀が繁栄の時期と考えられます。戦国時代は、能島や来島の村上海賊衆(かいぞくしゅう)の拠点として使用され、岩礁(がんしょう)に見られる柱穴跡は、繋船(けいせん)施設の遺構(いこう)と考えられます。
また、干潮時(かんちょうじ)に見られる石列(せきれつ)は、藤堂高虎が今治城主だった江戸時代初期に、改修させた石塁(せきるい)の一部と考えられます。
高さ2~3間(けん)半(1間は約1.8m)の総石垣が島の周囲を取り囲み、追手口(おうてぐち)には内枡形(うちますがた)の縄張(なわば)りが見られます。
島内では、建物の礎石(そせき)や多数の瓦片(かわらへん)も見つかっています。
元禄(げんろく)4(1691)年にこの沖を航行したドイツ人医師ケンぺルが、海中より聳(そび)える高石垣に驚いています。
それらの多くは、幕末期ころに地元の堤防石垣(塩田など)として使用されたようです。