なしの丸について 大竹市は昭和47年より、亀居公園を作るため、この辺り一帯の整備を進めました。その際、土に埋もれて隠れていた亀居城「本丸」の石垣が姿を現しました。 その後、昭和53年と54年の2回にわたって大竹市教育委員会が発掘調査を行いました。その結果、本丸周辺の石垣、遺構·遺物(瓦·青磁·鉄釘)天守台の礎石などが見つかり、10の郭の存在が明らかになりました。 しかし、地元では、11台目の郭「なしの丸」の存在も伝承されており、文政2年(1819年)発行『国郡誌 小方村』にも亀居城の郭は11台と記されています。 元文5年(1740年)に描かれた「小方御城山図」(和田家文書)をもとに「なしの丸」があったとされるこの場所にも石柱を設置いたしました。 大竹市教育委員会
トーダイさんの夏バージョンです。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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