子供のカン封じなど子育ての神社でした。
八幡宮北の登城口から宇佐山城へ10分くらいで登れます。
子供のカン封じなど子育ての神社でした。 八幡宮北の登城口から宇佐山城へ10分くらいで登れます。
とても大規模な竪堀。眺めながら登城します。
主郭下と比べ石材は少し小ぶりですが、よく残っています。
二の丸帯曲輪下の大規模な石垣を上った、二の丸下も石垣の名残りがチラホラあります。
二の丸から主郭へは桝形虎口になっていて、それを形成する土塁があり、二の丸側の南側に空堀があります。
櫓台跡にはNHK施設が建っていますが、遺構は保存されていて、覗くことができます。櫓台からの排水施設でしょうね。
南側の二の丸から左折、右折して主郭へ入るようになっていて、石段までついています。主郭の規模に対して大きすぎる桝形だと思います。
木の城趾碑、石仏があります。主郭と主郭帯曲輪下の石垣も見えています。
気をつけて見学してください。
主郭の切岸にもちらほら石垣が残っています。主郭から、二の丸、三の丸まで、琵琶湖側からの見せ方を意識しているようです。
武者溜まりという感じで、三の丸と主郭の間の堀切から上ってくる敵を攻撃するスペースのようです。
湖西の街並み、琵琶湖が一望でき、歓声を上げること間違いナシです。
三の丸の琵琶湖側にもたくさん低い石積みが見られます。このお城は山砂が多く、散策は滑りやすいです。
三の丸の琵琶湖側にも多くの低い石積みが見られます。
三の丸も琵琶湖側はたくさん石積みが見られますが、主郭や二の丸のように高さがあるものは残っていません。元々土留程度だったのかな。
志賀の陣で浅井・朝倉軍が侵攻してきたとされる北曲輪へは三の丸北下帯曲輪から伸びた尾根伝いに行きます。迷うことはない一本尾根道ですが、急坂にはロープが付いているので、軍手は必須です。北曲輪の手前まで行くとこの案内板があり、ここまできたらすぐです。
浅井・朝倉軍の壺笠山城や比叡山の建物まで見えます。北曲輪は四段ほどの段曲輪で、うっすらした土塁くらいしか防御設備はないですが、結構兵を駐屯させるスペースはあります。
北曲輪の最上段先端から見た櫓台方面、これといった防御設備はなく、うっすら土塁で囲まれている感じです。一番南側に櫓台があります。
二の丸南側帯曲輪から二の丸を見上げると残存石垣がちらほら見られます。
城内に貼ったある縄張り図の大手道の方に二の丸から向かうと竪堀や堀切が見られます。
大きい堀切、左が主郭になります。
二の丸からの南西尾根には堀切や竪堀と思われる地形が見られます。一騎駆けの道です。
二の丸南西尾根を進むと竪堀や堀切を経て、見晴らしの良いスペースに出ます。北方向へ振り返ったところ。
名人カルタ戦が行なわれる神社。来年の大河をもう推してました。
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