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天正十四年(一五八六)頃、豊臣秀吉配下の武将浅野長吉が築いた大津城は、三重の堀に囲まれていました。その中堀の一角にあたることから名付けられたものです。慶長六年(一六〇一)、城が膳所へ移されたのち、堀を埋めて町を開いたものと考えられます。
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