お知らせ 詳細
南東尾根は人一人がやっとの細尾根になっており両側の斜面は急峻でこの尾根が鎌の刃のようだと言うことで鎌刃城と名付けられたという話があります。
警告版通りに非常に落石が多いです。
道自体はいいのですが、このように落石がいたるところにありますので注意を
登城口は案内板の右側にあります。 尾根を少し下りたらもう城址です。
林道から降りた先の堀切です。 道標通り堀底の道をすすむと尾根上の曲輪を迂回して北尾根の大堀切あたりまで移動できます。 写真左の切岸を登れば危険ですが南東尾根の堀切群を堪能できます。 撮影側の道を戻ると青竜滝です。
林道から降りたところの切り通し(堀切)です。
切り通しから切岸を登ったところです。ここから南郭まで細尾根が続きその間に7つの堀切で遮断されています。 この細尾根が鎌の刃のように細く鋭いので「鎌刃城」と呼ばれているという話もあります。
南郭まで細尾根が続きその間に7つの堀切で遮断されています。 (下ります) この細尾根が鎌の刃のように細く鋭いので「鎌刃城」と呼ばれているという話もあります。
南郭まで細尾根が続きその間に、わかりにくいものからはっきりしたものまで7つの堀切で遮断されています。
南東尾根は人一人がやっとの細尾根になっており両側の斜面は急峻でこの尾根が鎌の刃のようだと言うことで鎌刃城と名付けられたという話があります。
南郭まで細尾根が続きその間に7つの堀切で遮断されています。 岩盤の露出も多く、堀切には岩盤を削ったものもあります。
南郭まで細尾根が続きその間に7つの堀切で遮断されています。
堀切に切岸(切岸の上部は土塁になっており一部石積みになっています)でがっちり遮断してあります。
南東尾根との間、堀切と切岸でがっちり遮断してあります。 切岸に石積みが所々見えていてもしかしたら石垣造りだったのかもしれません。
副郭と南東尾根との堀切にあった案内板です。
切岸に石積みが所々見えていてもしかしたら石垣造りだったのかもしれません。 そして垂れ下がっている虎ロープ、こちら切岸直登になっています。(虎ロープは耐久性がないので過信しないでください。)
切岸に石積みが所々見えていてもしかしたら石垣造りだったのかもしれません。
日焼けしてしまってほぼ見えないです。(文字起こしいたしました。) 案内板では以下の箇所が削除された形跡が残っていました。 堀氏は元亀元年(1570)同属の樋口氏とともに織田信長に降り、翌年五月六日には浅井長政に攻められています。この時横山城(長浜市)を守備していた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が応援に駆けつけ、長政軍を撃退したことが「信長公記」に記されています。
案内板ごとに曲輪の名称が変わってくるのでややこしいです。 土塁が南と西にある曲輪で、ここから3方(主郭を含む北郭・西郭・南東尾根)に城址は広がっています。
副郭の西側には帯曲輪がありさらにその下に西郭群が尾根伝いに続きます。 副郭の切岸には虎ロープが垂れ下がっており直登で上り下りです。 (西尾根の郭へはここそのまま下りるんですか?的なコース設定がされてますので無理なされないように)
副郭の西側には帯曲輪がありさらにその下に西郭群が尾根伝いに続きます。 写真の切岸を虎ロープを目印に直登気味のつづら折れで上り下りです。 (西尾根の郭へはここそのまま下りるんですか?的なコース設定がされてますので無理なされないように)
虎ロープを目印に直登気味のつづら折れで上り下りです。
西Ⅲ郭から西Ⅱ郭への斜面の前に堀切がありました。
西Ⅲ郭からは緩い尾根上に郭が続いていきます。
岩盤を削って作られていました。
写真の右側(南側)に土塁が残っています。
西〇郭と名前がついている曲輪はここまでです。 西Ⅷ郭の南側には畝状竪堀、西側(麓側)には堀切、東側・西Ⅶ郭の切岸には石積みが一部見えていました。
虎口の前面は石垣になっています。
写真左奥に主郭北虎口があります。
北Ⅰ郭から。 北尾根には6つの曲輪があり、先端は大堀切など4つの堀切で遮断されています。 北端の北Ⅵ郭には大櫓があったと推定されています。
手前が「北-Ⅳ-1郭」奥の広くなっている箇所が「北-Ⅳ-2郭」になります。
奥が主郭です。
左側に手作り感あるれる櫓が建っています。
私、けっこうデカイ体なので登ろうとしましたがやめました。
北Ⅴ郭にある虎口で薬医門が建っていたようです。
パンフレット置きがこちらにもあります。 左(東)側に石段の桝形虎口、奥(南)が主郭方面で北尾根郭群が続きます。 右(西)側、切岸を下りたところに大石垣、撮影(北)側には大櫓跡の北Ⅵ郭があります。
北Ⅴ郭西側にあるのですが湧き水ではなく、遠く青龍の滝からパイプで引き込んでいます。当時このようなものがあったとは思えないですが湖国記念事業でつくられたものだそうです。 (この水で大石垣に下りる道がびちゃびちゃなのは要注意)
大櫓跡から。手前から2個目が大堀切です。
伊吹山や横山城が見えます。
大櫓跡から南側を撮影。
北尾根郭群の北端で、土塁に囲まれた小さな曲輪だと思われていました。 発掘の結果、曲輪内に多くの礎石が整然とみつかり、三方の土塁は櫓台、曲輪は櫓の地下一階部分(穴蔵)で、この曲輪いっぱいに天守の原型とも言える大櫓が建っていた可能性がでてきました。
大石垣へ下りる道沿いにも石垣が
北郭群の西側斜面(少し下りたところ)になります。 苔があってわかりずらいですが、石垣が続いています。
北尾根を遮断する四重堀切の一つです。
城址の東側に犬走りのように遊歩道がつくられています。北の大堀切から南尾根の切り通しまで城内を迂回して移動が可能です。 (途中数か所城内に上がれる道もあります。)
城址の東側に犬走りのように遊歩道がつくられています。北の大堀切から南尾根の切り通しまで城内を迂回して移動が可能です。(途中数か所城内に上がれる道もあります。) この先から主郭へ登れる道があります。 写真の尾根がV字になっているところは南Ⅱ郭と南尾根の間の大堀切です。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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