深見城の裏鬼門(南西)の抑えとして、城主の山田伊賀守が守り神としてしていたと云われています。現地に由緒書はありませんでした。
天竺坂下から徒歩10分程です。
若宮八幡宮は、室町時代末期の永禄年間(1558〜1569年)、岩崎丹後守によってこの地の守り神として創建されたとも云われています。
案内板要約「北条早雲の家臣・山田伊賀入道経光が牢場を設けた事からこの地名が付き、道の傍らにはこの頃の五輪塔や板碑があります」 五輪塔等は残念ながら見つけられませんでした。
この周辺は湿地帯が広がり、境川を掛かるこの橋から武士達が入城した事から「山田橋」と呼ばれてきたそうです。 現在の名前は「上瀬谷橋」です。
今でも田んぼが広がり、背後には川が流れています。当時は一面湿地帯の要害だったと思われます。
ここで扇谷上杉家の太田道灌率いる軍勢と迎え撃つ深見城の軍勢合わせて4万の兵が戦ったと云われています。
深見城の裏鬼門(南西)の抑えとして、城主の山田伊賀守が守り神としてしていたと云われています。現地に由緒書はありませんでした。 天竺坂下から徒歩10分程です。
坂の下からの撮影です。 写真左側が城址です。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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