国指定史跡 左沢楯山城跡(あてらざわたてやまじょうあと)
左沢楯山城跡は、14世紀後半に寒河江大江氏七代大江時茂(ときもち)の三男元時(もととき)により築城されたと伝えられています。調査の成果より15世紀後半から17世紀前半に活発に活用されたと考えられます。その後、大江氏は天正12年(1584)に最上義光(よしあき)に滅ぼされ、城も最上氏のものとなりました。元和8年(1622)に最上氏が改易されると、酒井直次が左沢に入封しました。直次は左沢楯山城を廃して、小漆川の高台に新城 小漆川城(こうるしかわじょう)を築城し、城下の造営に着手しました。
左沢楯山城は自然の沢を巧みに取り込んで構成されており、城内には段状の曲輪(くるわ)や切岸(きりぎし)、堀切(ほりきり)等が良好な状態で残されています。北側丘陵は「八幡座(はちまんざ)」「寺屋敷(てらやしき)」、南側丘陵は「千畳敷(せんじょうじき)」「八幡平(はちまんたいら)」等の曲輪が中心となっています。
ここは最上川の流路の転換点であり、東西南北の街道が交差する交通の要衝の地でもあり、交通路を押さえるという意味で中世城館としての大きな役割を担っていました。平成21年3月 大江町教育委員会
八幡座:宗教施設がありその下には主殿が設置された。左沢楯山城跡の主郭である。
寺屋敷:城主の権威を示す目的に利用された場所。八幡座と同様の大型建物と池が確認された。
千畳敷:流通拠点としての最上川を押さえるための物資の倉庫として利用された場所。
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